マッハ5の砲弾…1秒の判断遅れが命取り 衝撃的な“戦車戦秘話” (3/5ページ)

2016.8.13 17:09

  • 昭和45(1970)年、富士駐屯地で、61式戦車の砲腔内を洗棹(せんかん)を使って清掃する木元寛明さん(右から2人目)ら戦車乗員たち(木元さん提供)
  • 90式戦車が表紙に登場する「戦車の戦う技術」(サイエンス・アイ新書)の書影
  • 歴戦のタンカー、木元さんは、戦車戦の戦術はもちろん、世界の戦車史にも造詣が深かった
  • 旧飛行場に残された日本軍の戦車
  • 千島列島・シュムシュ島(占守島)に残る旧日本軍の戦車(サハリン州提供・共同)

 冒頭の木元さんの言葉で紹介した、戦車の砲塔から飛び出す砲弾のスピードはマッハ5-という事実。

 「あの影は敵か、味方か?」。戦場における、このほんの一瞬のためらいが、4人の命運を左右するのだ。

 司馬さんは正式な戦車小隊長だった!

 作家の司馬?太郎さんが学徒出陣し、陸軍少尉で、戦車小隊長だったという話は有名だが、司馬さん自身、あまり当時のことを著作などに詳細に書き残していない。

 日本の戦車史にも詳しい木元さんは「実は司馬さんは日本陸軍で正式な戦車小隊長の教育を受けていたんですよ」と明かす。

 木元さんによると、司馬さんは昭和19年、幹部候補生として旧満州の四平陸軍戦車学校に入校、約8カ月間の教育を受けていたという。

司馬さんが受けた教育は、『四平陸軍戦車学校史』によると、現在の陸自富士学校の…

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