一方で、根津は「社会から得た利益は社会に還元する義務がある」というポリシーを持っていた。そのために、教育に力を入れていた。旧制の武蔵高等学校を造ったのも、根津である。この学校は、現在の武蔵中学校・高等学校、武蔵大学へと発展している。
これらの学校は、東武沿線ではなく、武蔵野鉄道(現在の西武池袋線)沿線につくられた。根津は武蔵野鉄道の株式を持っていたのかもしれないが、自社の沿線ではなく他社の沿線に造ったことはいまから考えると意外である。武蔵中学校・高等学校は独自の教育方針で知られ、多くの難関大学合格者を輩出している。その卒業生は、さまざまな世界で活躍している。
また、ふるさと山梨県の学校にも寄付を行った。山梨市の万力公園には、根津嘉一郎の銅像がある。根津は、郷土の偉人でもあるのだ。
根津嘉一郎が作り出したネットワーク型の思考が、いまの東武にも生き、多くの利用者がその恩恵を受けている。
囲い込むだけがビジネスではない。多くの人と手をたずさえて、事業を成し遂げることがいまの時代にも求められている。その意味で、狭い範囲内でものを考えがちな私たちが、東武に学ぶことは多いのではないだろうか。