国鉄時代、都心から日光へ向かう列車は東武とはライバル関係だった。たがいに豪華な車両を投入し、東武がデラックスロマンスカー1720系を投入したことで勝負は決したかに見えた。
だが、東武が東京西側からの集客を増やしたいと思う一方で、JR東日本も観光地、日光への輸送需要に応えたい。日光線では、宇都宮で方向転換する必要がある。この両者の思惑が合致し、東武とJRは長年の因縁を乗り越え、手を結んだ。そうして生まれたのが「日光」と「スペーシアきぬがわ」の特急列車である。
また、東武鉄道はJR5社や秩父鉄道、真岡鐵道、大井川鐵道からの協力を得て、SL復活プロジェクトも行っている。これも、「つながり」の鉄道会社である東武らしい事業である。
いまに生きる根津嘉一郎の精神
東武の礎を築いた初代根津嘉一郎は、阪急電鉄の小林一三や東京地下鉄道の早川徳次と並ぶ、山梨県出身の鉄道経営者として知られている。根津は、多くの鉄道会社の経営に関わり、「鉄道王」と呼ばれた。主なものを挙げても、東京地下鉄道や南海鉄道などがある。南朝鮮鉄道の経営にも参加していた。