ファミコン進出については、知る人ぞ知る裏話がある。ナムコは任天堂のライセンスを受ける前から、自社でファミコンを解析し、“勝手に”ソフトを制作していたというのだ。このことで、ファミコンソフト市場をコントロールしたい任天堂の山内溥(ひろし)社長(当時)と確執が生じ、後にナムコが他社のゲーム機向けソフトに注力することにつながったとされる。
もっとも、今はもう、わだかまりはないようだ。任天堂は2010年、ホームページに岩田聡社長(当時)がかつてのファミコン担当者に話を聞くという内容の記事を掲載。岩田氏はその中で、「ナムコさんは、CPU(中央演算処理装置)が何かもわからなかったところから、ファミコンの画面や音声の表示がどのような仕組みになっているかまで自力で解析されたそうですね」と感嘆している。
また、1994年にソニーが家庭用ゲーム機「プレイステーション」を投入する前にナムコも自社開発のゲーム機を検討していたという。最終的には開発をやめハード、ソフトの両面からソニー陣営を支えた。もしも、「ナムコのゲーム機」が世に出ていたらどんなものだったか、ゲームファンなら想像せずにはいられないだろう。
その傍らで、中村さんは企業再生にも熱心に取り組んだ。93年には会社更生法の適用を受けた名門映画会社、日活を買収。「昔から映画作りがしたかった」という夢をかなえる。
中村さんは、オランダの歴史家、ホイジンガの言葉「人間は遊ぶ存在である(ホモ・ルーデンス)」をよく口にした。人間の重要な欲求である「遊び」にナムコは応えていくのだ、と。「遊びをクリエイトする」というナムコのキャッチコピー通り、ゲームという分野でそれを創造し、発展させ、世界に冠たるものにまで育て上げた。(フジサンケイビジネスアイ企画委員 青山博美、経済本部 高橋寛次)