業界活性化に奔走
化学繊維から天然素材へというファッション業界の流れに乗り、麻が基調の生地は注目を集め、みやしんには新たな仕事の依頼が舞い込むようになった。「ヨウジヤマモト」「コシノヒロコ」など世界に認められた日本発の人気ブランドをはじめ、ダナ・キャランなど海外のデザイナーとも組むようになった。80年代後半、みやしんの売上高は年1億5000万円にのぼるようになった。
「DC(デザイナーズ・アンド・キャラクターズ)ブランド」と呼ばれた高価格品のブームはバブル崩壊とともに消え去り、国内アパレルメーカーはコストを抑えるため海外生産へと製造元を移していった。それでも宮本は立体織りを追究したり、季節にとらわれない素材を使ったりと、斬新な発想の服地づくりを続けた。繊維産地の業者を集めて「テキスタイル展示会」を催すなど、業界全体を元気づけようと奔走した。
ただ、国内のアパレル市場は次第に輸入品が主流となり、90年に48.5%だった衣類に占める輸入品の割合は、2011年には96.4%を占めるまでになる。デフレを背景に2000年代に入って低価格志向がさらに強まっても、みやしんは高品質なものづくりにこだわり続けた。経営環境は一層厳しくなり、宮本は12年秋、新たな受注を取らないことを決めた。