やがて「繊維織物の伝統技術にファッションという付加価値をつけ、織元から高付加価値ビジネスに転換しよう」と考え、着物向け生地の生産機械を使い服地の試作を繰り返した。国内外の服地を調べ、独自のものを編み出そうと没頭した。不思議と、社長だった父親が口出しをすることはなかったが、試作ばかりでは利益にならず、他の社員から白い目で見られ始めた。
伝統生み出す、革新の連続
宮本は試作品を手にアパレルメーカーや店舗に飛び込みの営業を始めたが、当初は門前払いの繰り返しだった。ある日、約束なしに訪れた都内のデザイン関連の販売会社が、六本木にある親会社に話を通してくれた。親会社の企画担当は宮本の生地を一目見て気に入る。当時、既にパリコレに参加していたブランド「イッセイミヤケ」を展開する三宅一生の事務所だった。
研究を重ね宮本が生み出した麻の二重織りは「ウィンターリネン」として、80年代初めのパリコレでコートやジャケットの素材としてデビューした。