服地に高付加価値
1948年3月、宮本は八王子市で5人兄弟の次男として生まれた。染色をしていた祖父から続くみやしんは、長男が継ぐことが決まっており、宮本は大学を卒業後、旅行会社に就職した。家業とは無縁の道を歩むつもりだった。
27歳のころ、社長を務める父から兄を手伝うように言われた。70年代は男物の着物がまだ絶好調で、みやしんも受注が全盛期だった。営業が基本と、宮本は地方の呉服店を回った。
織元から小売店まではいくつもの問屋を挟み、長い流通経路がある。織元が小売店を回ることは珍しかったが、川下に行けば行くほど実際の需要が見えてくる。好調な家業の現状に反し、複数の小売店から受けた反応に宮本は先行きの厳しさを覚えた。「男物の着物は一家に1枚あればいい時代がくる」。宮本は着物生地の受注がいずれ消えていくことを直感した。
「洋服に変えた方がいいよ、おやじ」。父親である社長に進言した。自らも地元の工業高校で紡織の教科書を手に入れ、独学で勉強を始めた。