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【軍事情勢】ハマスはベトコン見倣え 「弱者」逆手に取った立場のすり替え

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【軍事情勢】ハマスはベトコン見倣え 「弱者」逆手に取った立場のすり替え

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イスラエル・パレスチナ自治区ガザ地区情勢の経過=2014年7月8日~8月4日  靴は何回か修理して比較的長い間履くが、今回のイスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザ進攻で、12年以上前に一度も修理せず棄てた靴を思い出した。イスラエル軍は2002年4月にも、パレスチナ自治区ジェニン難民キャンプに進攻した。戦場と化した自治区を応援取材、1カ月の滞在を終え、当時の勤務地ロンドンの自宅に帰るや、真っ先に「ポリ袋が欲しい」と、戸外より怒鳴った。

 たっぷりと血を吸った布製の靴を履いて、家に入るのは憚(はばか)られた。血は取材終盤、エルサレム市街の自爆テロ現場で付いた。現着すると、デッキブラシで血だまりを水洗いしている最中。坂上の現場に坂下から向かい、布製の靴は「薄紅色の水」でびっしょりとぬれてしまった。その後、サイズと時間に恵まれず数日間、我慢して靴を履き続けた。

 民間人が「人間の盾」

 当時、自爆テロが頻発していて、食事にも危機管理を強いられた。大通りの飲食店はNG。大通りを一本入った、できればさらにもう一本入った、日本で言えば「飲み屋横丁」のような、車の入れない小路沿いの飲食店を選んだ。爆弾を積んだ車両による自爆テロを避けるためだ。付け加えるなら、横丁の入り口に自動小銃を抱えた傭兵(ようへい、といってもポロシャツにジーンズ姿)が睨(にら)みを効かせた立地がベスト。傭兵は「飲み屋横丁」に軒を連ねる店のオーナーが共同出資して雇っていた。

 店に入ると、テーブルを指定した。店の一番奥の、しかも柱の陰が良い。自爆テロは入り口で勘づかれて「最早これまで」と、爆発を早める確率が高いのだ。

 今次ガザ進攻でも、多くの民間人が亡くなっている。メディアの映像には、身内を亡くした女性や子供が泣き叫ぶ姿が流れる。同情はするが、イスラエル軍の“誤爆”だけに全原因を求めるのは間違いだ。

 イスラム原理主義組織ハマスは、指揮所やロケット発射台、武器の製造工場・保管庫を、住宅はじめ学校や病院、モスク(イスラム教礼拝所)、赤新月社(赤十字)、国際機関の出先やその付近に設置する。市民に避難を呼び掛けぬばかりか、イスラエル軍による空爆時、市民の防空壕(ぼうくうごう)使用を禁止するなど、民間人を「人間の盾」としている。

 パレスチナ側は過去も現在も「軍事力で劣るわれわれは、圧倒的戦力を保有するイスラエル軍に対し、非対称で対抗するしかない」と強弁する。が、「弱者」を逆手に取った巧妙な立場のすり替えではないか。

 難民キャンプが出撃基地

 イスラエル軍が02年、ジェニン難民キャンプに進攻した際も、同種のプロパガンダが横行した。パレスチナ側は「500人以上が虐殺された」と発表。世界のメディアで《ジェニン虐殺》の見出しが躍った。

 ところが、難民キャンプはテロリストの出撃基地と化していた。虐殺現場や大勢の死体を目撃したとする具体的証言はなく、大方の記事はパレスチナ側発表に拠った。パレスチナ側が、具体的裏付けのない“虐殺証言”を繰り返すのなら、イスラエル側に取材するしかなかった。ジェニンで、イスラエル軍の軍医・衛生兵の総指揮を執ったダビデ・ザンゲン予備役軍医少佐=当時(43)=はパレスチナのテロ戦術をこう説明した。

 「2老女と男が手を挙げて近付いてきたが、3人の間をぬって、後ろに隠れていたテロリスト2人の銃が火を噴いた」

 「イスラエル兵4人が不審な13、14歳の少年に尋問しようと追い掛け、家屋に入ったところ爆発が。別のイスラエル兵が救援に急行したが、待ち伏せ攻撃を受け、13人が戦死した」

 確かにおとりなど《奇計》について、ハーグ陸戦規則では《適法》、ジュネーブ条約第1追加議定書でも《禁止されない》とある。しかし、第1追加議定書は、降伏を装い、油断した相手を攻撃することや、民間人を装い奇襲する《背信行為》もまた禁止する。それ以前に、15歳未満の児童を兵士として使用することは第1・2追加議定書や児童の権利に関する条約など、国際法によって二重三重に禁じられている。

 もちろん、ジュネーブ第4=文民条約では、民間人の戦争からの保護が担保されている。だが、ジェニンのケースは保護しようにも保護できない。民間人保護は、軍事行動はもとより破壊・スパイ活動など、敵対行為に参加しないことが大前提となる。敵対行為を受けた際、自己防衛目的の反撃が許される。パレスチナ側が主唱する“虐殺された民間人”の相当数が、テロ協力者だった。

 テロリストでないゲリラ

 正規軍だけでなく民兵やゲリラ、義勇兵=パルチザン、正規軍編成の時間的余裕がない場合の大衆蜂起にも交戦者資格は認められてはいる。ただし(1)遠方より識別できる標章を着用(2)公然と武器を携行(3)戦争法規・慣例に従い行動-しているなど、ハーグ陸戦規則やジュネーブ第3条約で定められた要件を満たしていることが条件となる。

 ベトナム戦争(1960~75年)で北ベトナム軍と共闘したベトコン(南ベトナム解放民族戦線)もゲリラ戦術を採ったが、交戦者資格を満たしており、テロリストではなかった。

 パレスチナ側ほどではないが、イスラエル軍も進攻の度に国際法に違反する。国際法は順守しなければならない。と、「戦争にルールなど無い。戦争を無くすことが先決だ」と反論する人々が大勢いる。

 当然、戦争無き世界は目指さねばならぬが、根絶は不可能だ。従って、人類は国際法を整備し「戦場の掟(おきて)」を定め、少しでも凄惨(せいさん)さを薄める努力をしてきた。戦争関係の国際法は理想を追求してなどいない。冷酷なまでの現実感に基づき定められているのである。

 2973人もの人々が亡くなった2001年9月11日の米中枢同時テロでは、日本人24人も犠牲になった。ニューヨークの世界貿易センタービル内で勤務していた、大学體育會(たいいくかい)の1年生当時の主将(4年生)もその一人だった。墓に眠るのは遺品だけ。愛息に先立たれ、父君が絞り出すように発した七回忌での挨拶が忘れられない。

 「テロを許さないでください。心から憎んでください」

 米軍に勝てぬ“弱者”の国際テロ組織アルカーイダが犯した蛮行が《9・11》であった。(政治部専門委員 野口裕之/SANKEI EXPRESS

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