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【軍事情勢】賛成した国連決議を実行できない日本

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【軍事情勢】賛成した国連決議を実行できない日本

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 理由は後述するが、日本と豪州の外務・防衛閣僚協議が行われた11日、大日本帝國海軍聯合艦隊司令長官の東郷平八郎・元帥海軍大将(1848~1934年)が発した薩音混じりの、鋭い指摘を思い出した。

 「本当に降伏すッとなら、その艦を停止せにゃならん。げんに敵はまだ前進しちょるじゃないか」

 国運を分ける国際法

 司馬遼太郎が《坂の上の雲=文春文庫》で著した日露戦争(1904~05年)における日本海海戦の一場面。敵艦に白旗が揚がるが、東郷は「射ち方ヤメ」を命じない。参謀・秋山真之中佐(後に中将/1868~1918年)は「長官、敵は降伏しています。武士の情であります。発砲をやめてください」と血相を変え上申する。冒頭は、冷然と聞き流し、切り返すように放った東郷の至言であった。秋山は海戦を完全勝利に導く戦法を編み出し、東郷をして「智謀如湧(ちぼうわくがごとし)」と感嘆せしめた知将だが、東郷の国際法への見識は秋山でさえ及ぶところではなかった。今尚、国際法を味方に付けるか否は国運の分かれ目と成る。かかる重大性を理解できる安倍政権は、集団的自衛権行使容認の閣議決定に向けた与党協議で公明党にこう提案した。

 《我が国に対する武力攻撃がなくとも、他国に対する武力攻撃が発生、我が国の存立が脅かされ、国民の生命が根底から覆される虞(おそれ)があり得る。その場合、自衛措置として『武力行使』は許容されるべきだ》

 ただ、集団的自衛権行使容認に当たり、公明党は憲法第9条との整合性を求めてきた。そこで自民党は《国際法上の根拠と憲法解釈は区別》。前記の《『武力行使』は、国際法上は集団的自衛権が根拠となる》と特記した。集団的自衛権行使容認と憲法問題を切り離し、公明党に「憲法上ではなく、国際法上行使を認めただけ」と、支持母体に都合良く言い訳できる余地を提供したのだ。

 日豪協議に戻る。与党協議ばりの奇策を用いずとも、日豪間はかつて集団的自衛権でつながっていた。東郷と秋山のやりとりが浮かんだのは、記者発表第6項に目が移り、2014年の《アルバニー船団記念式典》に海上自衛隊艦艇が招かれる旨を認めたとき。式典では、第一次世界大戦(1914~18年)中、戦場へ向かう豪・ニュージーランド合同軍団(ANZAC)第一波を、帝國海軍の巡洋戦艦・伊吹が護衛して100年を祝う。大戦前の3カ月半ではあったが、伊吹2代目艦長が秋山だった。

 集団的自衛権で国益担保

 日露戦争当時、公明党が閣議決定前日まで?文言に注文を付け、次第に歪にしていく、今次の如き集団的自衛権の発動要件が適用されていたら、間違いなく大日本帝國は負け、ロシア帝國の領土に成っていた。

 大英帝國が攻撃されても、日本は満足に軍事支援できぬから、英国が同盟締結を決断するはずもない。従って、英国による極東遠征中の露艦隊に関する情報供与や、露艦隊乗組員の戦意・士気を著しく挫いた物理的妨害はなかっただろう。

 ANZAC護衛などでも、第一次大戦戦勝国として様々な恩恵にあずかった。

 現代の主要国も集団的自衛権で抑止力を高め、国際権益=国益を次々担保するので、国連や国際法も進化を止められない。実際、平和破壊行為を抑止/阻止する秩序維持の国際メカニズムも強化され始めた。だのに安倍晋三首相(59)は5月、多国籍軍などへの自衛隊参加について「武力行使を目的として戦闘に参加することは決してない」と述べた。定義が多岐にわたる多国籍軍や戦闘につき、首相がいずれの意味で使ったのか定かではないが、公明党に集団的自衛権行使容認を促すべく、この部分はやむを得ず封印せざるを得なかったと信じる。

 左翼は言うに及ばず、公明党は全ての戦争は悪だと誤解(曲解?)している。しかし、国連や国際法は「正義の戦争」を公認する。多くの日本国民が認める侵略を撃退する自衛戦争=正当防衛が「正義の戦争」の象徴。自力で祖国を守れなければ、同盟国とともに戦う自衛戦争=正当防衛が集団的自衛権で、こちらも「正義の戦争」に属す。逆に、侵略してくるA国に戦わずして降伏、通境を許す“非武装中立”は事実上、A国と同盟関係を自然成立させてしまう、理論上有り得ぬ虚構でしかない。

 「保護する責任」

 「正義の戦争」にはもう一つ《保護する責任》がある。2005年の国連首脳会合成果文書に盛られ、06年の国連安保理決議1674号で確認された、新しい国際法の概念だ。即ち、国家が国民を保護する力も意志もなく虐殺を見逃しているケースでは、国際社会が当事国に代わり軍事行動などを実施し、国民を保護する。既に国連憲章第7章では《平和への脅威・破壊》や《侵略行為》を認定し、勧告に従わぬ場合の非軍事・軍事的強制措置の決定を保障しており、国連の「正義の戦争」への立ち位置はより積極化したと言える。集団的自衛権行使容認の敷居を高める議論すら終えられぬわが国は全体、何十周遅れるのか。

 繰り返すが、個別的自衛権も集団的自衛権も自衛戦争=正当防衛をにらむ措置。正規の国連軍が編成された実績はなく、今後も個別・集団的自衛権を合法的に代用して「不正義の戦争=侵略戦争」を抑止・撃退することになろう。しかも、国際社会は、統治能力のない国家での大虐殺に立ち向かう《保護する責任》まで求める。

 憲法前文にはこうある。

 《いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない》

 左翼は憲法を悪用、国連や国際法の実態も見ぬよう努め「集団的自衛権行使容認=戦争準備」と大衆を扇動する。公明党も日本の国際的地位向上=国益向上を阻害する似たベクトルを隠し持っていないか、政府・自民党は見極めねばならない。

 ところで《保護する責任》は05年の成果文書で盛り込まれ、反対・棄権もなく06年の安保理で採択された。自公連立政権のときだった。完全実行できない決議に賛成した「国連中心主義」を掲げる国家が犯した非行である。永世中立国スイスを含む、軍を有する全ての国が保持する集団的自衛権の存在と国際公約不履行。どちらが反国際行為なのか、答えは自明過ぎる。(政治部専門委員 野口裕之)

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