SankeiBiz for mobile

無言の人形が語る「虐殺」 映画「消えた画 クメール・ルージュの真実」 リティ・パニュ監督インタビュー

ニュースカテゴリ:EX CONTENTSのエンタメ

無言の人形が語る「虐殺」 映画「消えた画 クメール・ルージュの真実」 リティ・パニュ監督インタビュー

更新

カンボジアとフランスを行き来してカンボジアの記憶の保存に務めるリティ・パニュ監督=2013年12月1日、東京都渋谷区(高橋天地撮影)  カンボジア・プノンペン生まれのリティ・パニュ監督は、ポル・ポト(1925~98年)率いる「クメール・ルージュ」が70年代に数百万人もの国民を虐殺した悲劇に対し、映画を通してカンボジア人の記憶を掘り起こし、後世に伝えようと精力的に活動してきた。自身も少年時代にクメール・ルージュ支配下の過酷な労働キャンプに送られ、父母や親類を過労と飢餓(きが)で失うという筆舌に尽くしがたい過去にさいなまれてきた。

 そんなパニュ監督の新作「消えた画 クメール・ルージュの真実」は、自伝ドキュメンタリー。悲劇へのアプローチの手法が独創的で異彩を放っている。パニュ監督は、犠牲者が眠るカンボジアの大地の土で作った個性豊かなクレイ人形たちを多数登場させ、自らが少年時代に労働キャンプで目にした出来事を克明に再現してしまったのだ。時折挿入される当時のプロパガンダ映像に登場する世界がいかに無機質で没個性的なものだったかを、無言のクレイ人形たちが雄弁に“語ってくれる”ところが実に面白い。

 芸術品と魂の関係

 プロモーションで来日したパニュ監督はクレイ人形を用いた理由について「ずっとクメール・ルージュを描いていきたいといっても、私は『いつも同じ傾向の映画ばかり撮り続けている監督』だと思われるのは嫌でした。大好きなウディ・アレン監督だって、いつも新しい感覚でニューヨークで暮らすたくさんのユダヤ人を描いてきましたよね」と説明し、結果的にひねり出したのが「本物の芸術こそが魂を創り出す」という視点だった。

 例えば仏像の顔を見るとしよう。ある人にとっては「ただの彫刻」にすぎないが、パニュ監督はそこに魂の存在を見ることになる。クレイ人形にも同じことがいえるというのだ。「そもそも芸術品と魂は切り離せないものです。芸術品に魂が宿るのは、芸術品が利己的な存在ではなく、広く人々に開かれ、創造力に富んだものである場合です」

 人の心を保つもの

 クメール・ルージュは家族の写真はもちろんのこと、個人によるあらゆる所有行為を禁じ、記憶として残るものを焼き尽くした。人々には人間としてのアイデンティティーを捨て、ちりや砂粒で作られたロボットであることを要求した。パニュ監督は本作に登場した少年の人形に思いをはせ、自分に言い聞かせるかのように静かに映画監督としての決意を語った。「完全に自由で平等な人間を人間とは言えないでしょう。名前も家族も希望も失ったとしても、映像があれば人の心は何とか保てます」。東京・渋谷のユーロスペースほかで公開中。(高橋天地(たかくに)、写真も/SANKEI EXPRESS

 ■Rithy Panh 1964年4月18日、プノンペン生まれ。15歳のとき、クメール・ルージュ支配下の労働キャンプを脱出し、タイとの国境を抜け、フランスへ。パリの高等映画学院(IDHEC)を卒業し、多くのドキュメンタリーやフィクションを制作。本作は2013年カンヌ国際映画祭ある視点部門で最高賞に輝く。カンボジア映画初のアカデミー外国語映画賞候補にもなった。

ランキング