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「感動」を売る番組の怪しさ 渡辺武達

 ソチ冬季五輪が開かれていたロシアと日本との時差は5時間あり、この2週間は日本国民の多くが深夜のはらはらドキドキで睡眠時間を奪われた。「強い者が勝つのではなく、勝った者が強い」というのは、メダル追求型スポーツの常識であり、人気選手の存在と、自己の利益が相関していることを熟知しているメディアや大会運営者は、人気選手を中心とした報道を行う。

 平たく言えば、メダルを獲得した者がヒーロー、ヒロインであり、メダルが叶わないと感動物語路線となる。メディアのスポーツ報道は「シングル・イシュウ」(その時点での最大関心事)を作り出す傾向が強いことが、改めて鮮明になった。

 責任免れないNHK

 そのソチ五輪の報道に少しだけ関係しながら、期間中のメディアでの扱いが小さくなったが、メディアがその根本において大きな責任を問われるべき問題がある。フィギュアスケート男子に出場した高橋大輔選手がショートプログラム(SP)で使用した楽曲「ヴァイオリンのためのソナチネ」の作曲者が、「全聾(ろう)」の佐村河内守(さむらごうち・まもる)氏ではなく、代作者によるものだった件である。

 もちろん、音楽はそれを好む人が楽しむものであり、どのような経緯で作られていようが、作品としての価値とは関係がない。高橋氏もその曲がいいから選んだとテレビインタビューに答えていたが、それでいい。

 しかし、「メディアと社会」という視点で問うべき問題は、作品に別の作曲者がいたことを「知らず」に、NHKが5年をかけて取材したNHKスペシャル『魂の旋律~音を失った作曲家~』を昨年(2013年)3月に放映したほか、民放も基本的に「感動」を売る番組作りをビジネスとしてきたことである。さらには、週刊誌が代作を暴露するまで、放送局や新聞といった大手メディアは、「知らずにいた」ということも問われる。

 NHKは、本人の代理人が代作を認めると、「放送当時、本人が作曲していないことに気づくことができませんでした」と釈明した。しかし、5年も取材して気づかなかったというのは、放送法で「公共の福祉に資する」ことを義務づけられている「公共」放送局として、その責任は免れない。

 虚偽への加担

 NHKスペシャルについては、筆者もかつて疑問を指摘した放送がある。2002年4月28日に放送された「奇跡の詩人」で、脳に障害がある少年が母親の手を借りて「文字盤を指すこと」で執筆活動をしていることを感動的に取り上げたものだ。しかし、「その速度が運動学的に常識を超えている」と、筆者は新聞で疑問を呈し、NHKにも指摘した。その時のNHKの回答は「制作担当者は真実だと言い、番組審議会でも問題とされていない」というものであった。

 佐村河内氏は、被爆2世として広島に生まれ、35歳の時に聴力を完全に失った。それ以来「絶対音感」を頼りに作曲しているというのが売りにされ、『交響曲第1番 HIROSHIMA』などがヒットした。筆者は改めてNHKスペシャルなどの番組を視聴したが、相変わらずの「感動」を売る制作パターンと、怪しさを感じた。

 テレビが多くの視聴者を獲得するため、ストーリーのメリハリを際立たせるなどで伝達効果を高めるのは「演出」であり、その技術を磨くことは必要だ。しかし、虚偽を事実のように伝えるのはプロパガンダ(宣撫(せんぶ)工作)であり、「やらせ」という社会的犯罪だ。筆者の著書『テレビ-「やらせ」と「情報操作」』(三省堂刊)でも指摘している。

 07年にデータ捏造(ねつぞう)問題が発覚した関西テレビ制作で放映され問題となった「発掘!あるある大事典II:食べてヤセる!!!食材Xの新事実」で、納豆がスーパーやコンビニの棚から消えたことがまだ私たちの記憶に新しい。日本の放送局が相変わらず「感動を売る」番組作りを続け、週刊誌報道があるまでテレビも新聞も気付けなかったことは結果として、虚偽への加担であり、メディア関係者の連帯責任でもある。(同志社大学社会学部教授 渡辺武達(たけさと)/SANKEI EXPRESS (動画))

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