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いとおしく、もどかしい「相棒」 犬 乾ルカ

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いとおしく、もどかしい「相棒」 犬 乾ルカ

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日本三大がっかり観光地の一つ、時計台。ちなみに後ろのビルは、札幌市役所です=2014年1月21日、北海道・札幌市(乾ルカさん撮影)  【本の話をしよう】

 私は犬が好きです。子供のころ、日曜日の朝八時に放映されていた『名犬ラッシー』(よく知られている、飼い主の元へ帰るために長い旅をするという話ではなく、森林警備隊員と活躍するコリー犬という設定でした)を見て育ちました。それだけに、犬が登場する本はとりわけ思い入れを持って手に取ります。

 なに考えているの

 犬が出てくるミステリー小説となると、日本では『パーフェクト・ブルー』(宮部みゆき)の語り手マサが広く知られていると思います。ドラマにもなりました。

 海外ミステリーではどうでしょうか。

 個人的にここでお話ししたいのは、名犬チェットと探偵バーニーシリーズです。シリーズ第一作は『ぼくの名はチェット』(スペンサー・クイン)。チェットは残念ながら警察犬訓練所を優秀な成績で卒業しそこなった、でも陽気でかしこい犬。このシリーズでは、やはり犬のチェットの視点で、私立探偵バーニーの元に持ちこまれる案件の謎と真相までが語られます。

 「ぼく」という一人称を使う、チェットの語りの軽妙さが、読みはじめるやすぐに、読者を物語の中へといざないます。犬を飼ったことがある方なら、あるいは飼ったことがなくとも、親しく触れあったことがある方なら、一度は「この犬、今なにを考えているんだろう?」「どんな気持ち?」と、彼らの心情を推察した経験があるかと思いますが、語り手としてありながら、その語りの合間に挿入されるチェットの心が、まさしく私たちが犬に向けてきた「なにを考えているの?」に答えてくれています。実にかわいらしく、面白く、かつリアルで、まるで自分がチェットになって、バーニーのそばにいるかのようです。

 集中できなくても自然

 ミステリーとしても、犬を相棒、語り手とするのは、実に巧みなやり方です。人間の相棒ならば、「この会話は聞き逃せない」「この場所は目を凝らして観察しなければいけない」というシーンがあれば、必ずそうするでしょう。ミステリー的な引っ張りのために、それをしない展開にもっていこうとすれば、理由が必要になります。理由がうまくないと、無理やり感が出てしまい、興がそがれます。

 その点、犬ならごく自然にそれができます。人間たちが自分を放っておいて仕事の話をしている最中、押しよせる眠気をこらえて必死に耳をかたむける犬がいるでしょうか。どこの世界に、食べ物よりも事件の情報のほうに興味津々の犬がいるでしょう? そんな犬はいません! 眠たくなれば主人の足元でうとうとしだし、おいしそうなものが落ちていれば、注意は食べ物に向く。それが普通の犬です! 少なくとも、うちのまるは、ジャーキーを前にすれば、他のすべてがすっ飛びます。先代のガブリエルもそうでした。

 伝えられない

 人間と犬という、言語で意思の疎通ができない関係のもどかしさも、うまく話を進める要因になっています。たとえば序盤、車の中でバーニーの帰りを待つチェットに災難が降りかかります。ナイフを持った男に襲われるのです。チェットは抵抗して傷を負い、男は証拠品のナイフを排水溝の中に落として逃げ去るのですが、バーニーが駆け付けた際、チェットは一生懸命吠えて、こう訴えかけます。

 「バーニー! 排水溝のなかを見てくれよ!」

 これが伝わらない。読者はチェットと一緒にはがゆさにもだえ、この手がかりがいつバーニーにもたらされるのかと、さらに読み進めずにはいられなくなるのです。

 シェルター、日本でいうところの保健所でしょうか。に入ってしまうという、犬ならではのピンチにも遭遇します。Xデーまで時間がない、チェットにはちゃんとバーニーという飼い主がいるのにどうなっちゃうの? というハラハラ感。鑑札を失い、ケージに入れられてしまった犬の無力さが、人間の相棒が敵の手に落ちてしまったときのハラハラとは、まったく別種のものにしています。

 純粋な愛情と信頼

 はるか昔、人間と犬は共存の道を選び、現在に至りました。人間同士の相棒関係もいいものですが、人間と犬-バーニーとチェットの関係には、特別なプラスが加わります。それは、バーニーに対するチェットの、純粋な「大好き」という気持ち。犬らしいストレートさで表現されるチェットの信頼と愛情、そしてバーニーがチェットにそそぐ愛情(離ればなれになっていた彼らが再会したときの喜びようときたら!)。

 種族を超えた固い結びつきが、いかんなく表現されていて、犬好きにはたまりません。もちろん、一つのきっかけで小さな疑問がとけ、それを足がかりに徐々に謎の真相に近づいていくといった、ミステリーの流れそのものもしっかりしており、十分に楽しめるものです。

 ミステリーファン、犬が好きな方、バディものがお好みの方に、ぜひ試していただきたいシリーズです。(作家 乾ルカ、写真も/SANKEI EXPRESS

 ■いぬい・るか 1970年、札幌市生まれ。銀行員などを経て、2006年『夏光』で第86回オール讀物新人賞を受賞してデビュー。10年、『あの日にかえりたい』で第143回直木賞候補、『メグル』で第13回大藪春彦賞候補となる。12年、『てふてふ荘へようこそ』がNHKBSプレミアムでドラマ化された。近刊に『たったひとり』。ホラー・ファンタジー界の旗手として注目されている。札幌市在住。

「パーフェクト・ブルー」(宮部みゆき著/創元推理文庫、680円)

「ぼくの名はチェット」(スペンサー・クイン著、古草秀子訳/東京創元社、1785円)

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