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「父の最期 真相は…」遺族、法廷へ オウム平田被告 1月16日から裁判員裁判
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平田信(まこと)被告のから仮谷実さんに宛てられた手紙。「申し訳ありませんでした」などとつづられている=2014年1月10日(山田泰弘撮影) 1995年の目黒公証役場事務長拉致事件などに関わったとして逮捕監禁などの罪に問われたオウム真理教元幹部、平田信(まこと)被告(48)の裁判員裁判が東京地裁で1月16日から始まる。教団による一連の事件が裁判員裁判で審理されるのは初めて。約2カ月に及ぶ公判で平田被告は何を語るのか。社会を震撼(しんかん)させた凶行から約19年。法廷を見守る関係者の思いは…。
空に夜の気配が残る2012年1月1日早朝。元旦の静けさは、インターホンの呼び出し音で破られた。
「平田が出頭しました」
目黒公証役場事務長だった仮谷清志さん=当時(68)=の長男、実さん(53)は自宅を訪れた報道陣から意外な言葉を聞かされた。
部屋のテレビを付けると、見覚えのある名前を報じていた。「本当なんだ…」。清志さんの拉致事件に関わったとして平田被告が逮捕監禁致死容疑で特別手配されてから17年近くがたっていた。
「オウムに狙われている。万が一のときは警察に通報しろ」。拉致される前夜、切迫した様子で清志さんからこう告げられたのが、最後の会話となった。
1995年2月28日、脱会しようとした清志さんの妹の居場所を聞き出すために教団関係者らが清志さんを拉致、山梨県旧上九一色村(かみくいしきむら)の教団施設に監禁した。清志さんは大量の麻酔薬を投与されて死亡。遺体は焼かれ、灰は湖に捨てられた。
平田被告出頭の報に、実さんは「生きていたんだな」とつぶやいた。一度は終結したオウム裁判が、再び動き出した瞬間だった。
父の死には今も謎が残る。指揮役とされた井上嘉浩死刑囚(44)や、麻酔薬を投与した中川智正死刑囚(51)の公判で認定された罪名は殺人でなく逮捕監禁致死。殺意があったとは判断されなかったが、今も「殺人ではないか」という疑念がある。3年前に届いた1通の手紙が、その疑いをより強くさせた。
差出人は井上死刑囚。中川死刑囚が「ポアできる薬の効果を確かめようと点滴したら死亡した」と話したのを聞いたという。「ポア」は、教祖の麻原彰晃死刑囚(58)=本名・松本智津夫=が「殺害」の意味で用いていた言葉だ。
だが、面会した中川死刑囚は「積極的に何かをしたということはない」と否定。2004年に接見した際は中川発言について語らなかった井上死刑囚に対しても、「なぜ7年もたって明かすのか」と不信感が募った。
「己の罪の重さにお詫びの言葉もありません」
昨年(2013年)7月、平田被告が書いた手紙4通が届けられた。几帳面な文字で謝罪の言葉がつづられていたが、心には届かなかった。
「示談金を支払いたい」との申し入れには「真相の究明に協力することを約束します」との項目を加えることを条件に応じた。公判で被告に有利な情状となる可能性はあるが、ひとえに「真相に近づきたい」との思いがあるからだ。
「誰が本当のことを言っているのか分からない」とも感じるが、1月16日から始まる平田被告の裁判員裁判では、08年に導入された被害者参加制度を使って、平田被告に法廷で直接質問するつもりだ。
事件当時、妻のおなかにいた三男は18歳になり、大学進学も決まった。「体つきや肌の色が父にそっくりで、生まれ変わりのように思える」。子供の成長を喜ぶたびに、「父がいたらどんな表情だっただろう」との考えもよぎる。マージャンをともに楽しむ「仲の良い親子」だった父と自分。そこに遺骨はないが、今も年4回の墓参は欠かさない。
「父はどんな最期だったのか。あの手紙は心からの反省なのか。法廷で直接、確かめたい」。実さんは答えを求め、法廷に立つ。(SANKEI EXPRESS)