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歴史から教訓、秘密の公開が不可欠 渡辺武達
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安倍晋三政権が提案している「特定秘密保護法案」の国会審議が大詰めを迎えている。各党の動きを中心にこの法案については連日大きく報道されているし、ネットで検索すれば山ほどの情報や意見が出てくる。だが、共同通信社が11月23、24日に実施した全国世論調査では、いまだに62%もがこの法案が通れば国民の知る権利が侵害されると答えている。
この法案の基本は国家が保有する情報のうち防衛、外交、テロ、スパイ活動という4つの分野において、その情報の「漏洩(ろうえい)がわが国(日本)の安全保障に著しい支障を与えるおそれがある」と関係役所が判断したとき、それを「秘密指定」にできる権利を政府に与えるもので、アクセスする権利のないものにそれらの秘密を漏らした場合、漏洩者だけではなく、それを聞いた国会議員やジャーナリストらまで、処罰されかねないものである。
世界中のどこの国でも国家は国民を守るために一定の範囲での秘密を保有している。個人間でも国家間でも、国家と国民の間でも、秘密はない方が望ましい。しかし、現実には秘密なしに円滑な国家運営などできない。民主国家では、プライバシー保護の権利を個人に保障して社会生活の安寧と調和を図っているのだが、個人の所属する最大の組織である国家がその構成員を守り、グローバル社会で国民の利益を守るためには、秘密が必要であることは言を俟(ま)たない。
問題は誰がどういう情報を何のために秘密とするのか、そしてそれらの秘密はいつまで「秘密指定」されたままに置かれるのかということである。たとえば、日本の特定秘密保護法案がモデルの一つとしている米国の場合、特例を除き、たいていの秘密指定は25年で解除される。筆者も仕事上、首都ワシントン郊外のバージニアに置かれ、第一次大戦以降の米国政府の秘密ドキュメントを集めた米国立公文書館(NARA)をしばしば訪れている。NARAは、米政府がどのような文書をいつまで秘密にできるかの審査なども行う政府組織の一つでもある。
そこには日本のNHKが敗戦後、米国から放送料をもらって米国制作の米国に都合のよい番組を流していたときの料金表や、NHKと米国政府のやり取りの手紙まで残され、研究者が閲覧できるようになっている。
日本政府が隠している文書もここで多くが見つかるから、日本のメディアで報道され、日本人が日米関係の真実の一部を知ることができる。ただ、よほど習熟していないと、1、2週間通い詰めても目的の秘密解除文書にたどりつけないほど、米国には「秘密」が多い。
一方で、旧ソ連やロシア、中国などでは国家の秘密についてメディアが問題にすることさえ難しい。また、西欧諸国でも、かつての植民地経営国家である英、仏、独などでは、植民地支配時の秘密が公開されないことが多い。過酷な植民地政策を行い、現在もそのことを公式に謝罪していないから、秘密を公開できないのだ。
戦前の日本もそれと同じで、現在の日本と中国との関係にもそれが影響している。たとえば、1911年の辛亥革命100周年に当たる一昨年、筆者は中国中央テレビの依頼で記念番組の制作に協力し、福田康夫元首相とも対談した。辛亥革命は日本の政財界の協力によって孫文が主導した社会改革であった。しかし、その後の満州事変への対応で軍部の不興をかった犬養毅首相(1855~1932年)が陸軍青年将校に白昼、総理官邸で銃殺される(緒方貞子著『満州事変』を参照)。
その後、軍は中国の内情を部外秘にして情報統制を敷き、犬養を暗殺した首謀者も禁錮15年に処されただけであった。確かに歴史はいかようにも解釈できるが、当時の軍部による情報統制が現在の日中の歴史認識の齟齬を招いたという側面ば否定できない。
いかなる情報も、一定期間後には公開されないと、私たちは歴史から正しい教訓を得られない。それは、国民の幸せや国際平和の実現の障害となり、自分の将来を決める判断材料も持てなくなってしまう。(同志社大学社会学部教授 渡辺武達(わたなべ・たけさと)/SANKEI EXPRESS)