大阪市の財政が危機的な状況にあったことや、現地視察に訪れたIOC委員のバスが何度も渋滞に巻き込まれるという失態を演じて、極めて低い評価となったためだ。
しかし、インフラが充実し、会場の6割以上を既存施設として用意していた大阪に対して、最高の評価を受けて開催地に決まった北京は当時、競技施設のほとんどが計画段階にすぎなかった。
北京の勝因の一つは、13億人の人口を抱える巨大市場で五輪が開催されることに、世界のビジネスマンが魅力を感じていたことにある。また、中国を国際舞台に引きずり出して、チベット人の弾圧など、人権問題の解決を迫る思惑もあったことから、「北京五輪ありき」の招致レースだったともいわれている。
しかし、北京五輪で世界が注目した中国国内の人権問題は解決どころか、悪化の一途をたどっている。また、経済を急成長させた中国は、資源確保のため尖閣諸島だけでなく南シナ海などでの海洋進出を強め、一部の東南アジア諸国との摩擦が絶えない。
東京五輪までに、中国の度量の大きさを見せてもらえることを、日本だけでなく世界が願っている。