「鎌倉からはじまった。1951~2016」。最後になる今年度はこの通年企画展を展開している。開館からの65年間を3部構成で振り返るもので、今は1966~1984年(昭和41~59年)に焦点を当てた「PART2」を開催中だ。
≪軽やかに開かれた鑑賞空間≫
まだ連合軍の占領下にあった1949年、文化復興には美術館が必要だと、当時の神奈川県知事と県内文化人らが一致団結。場所選びは難航したが、鶴岡八幡宮宮司からの働きかけもあり現在地に決まったという。そして、建築家5人による指名コンペで選ばれたのが坂倉案。
他の案が本格的なコンクリート造りだったのに対し、坂倉案は鉄骨造りにボードをはめ込む簡素なデザインで、建設費を安く抑えられる上に機能的だと評価されたらしい。何しろ資材も乏しい時代だった。
美の殿堂といった権威的な建築ではない。2009年に開かれた「建築家 坂倉準三展」のカタログの中で、建築写真家・批評家の二川幸夫は坂倉の戦前の建築「パリ万博日本館」とこの美術館の2つをまとめて「当時としては珍しい『軽さ』を表現した、かなり未来志向の建築」と評している。その軽快さと開放的たたずまいこそ近代(モダン)を扱う新美術館にふさわしいと、坂倉は考えたのではないか。