「お寂しい?」と質された。少女は語り始めた。
「いいえ、寂しいことはありません。私は仏の子です。仏の子は、亡くなったお父さんともお母さんとも、お浄土に行ったら、きっとまた会うことができるのです。お父さんに、お母さんに会いたいと思うとき、御仏様の前に座ります。そして、そっとお父さんの、そっとお母さんの、名前を呼びます。するとお父さんも、お母さんも私の側にやってきて抱いてくれます。だから、寂しいことはありません。私は仏の子供です」
陛下は少女の頭を撫で「仏の子はお幸せね。これからも立派に育っておくれよ」と仰せられた。見れば、陛下の涙が畳を濡らしている。少女は、小声で「お父さん」と囁いた。陛下は深く深くうなずかれた。
共産主義者の一団も嗚咽
側近も同行記者も皆肩を震わせた。ただ単に、けなげに生きる少女への感動の涙と片付けてはならない。少女の悲しみは陛下の悲しみだった。愛する肉親を失った国民。国民の眼前に広がり心を蝕む敗戦に因る焼け野原=廃虚と飢餓。全てに絶望する国民の虚脱…。国民の苦しみは陛下の苦しみであった。