大東亜戦争(1941~45年)を終結させるにあたり《国体護持》を貫いた歴史は、わが国近代史における最大の国難回避であったと思っている。70年後。激戦地パラオ共和国ぺリリュー島に行幸啓された天皇・皇后両陛下が発せられた、言葉では到底表し尽くせぬ御力は、大日本帝國陸海軍の退役軍人と遺族、現地の人々を柔らかく包み込んだ。退役軍人の一人は民放テレビの取材に、申し上げようと思っていたことはたくさん有ったが、お礼言上が精いっぱいだったとの趣旨を語っていた。一部メディアは「(悲惨な)戦争当時の話は触れたくなかった」といった内容を、答えとして引き出した。否定はしない。時間は限られていた。緊張もしていたはず。しかし、最大の背景ではなかろう。ぺリリュー島行幸啓に限らず、両陛下の御心に接する国民の多くが言葉を控える。「空間の共有」だと感ずる。今次も、両陛下との間で深い悲しみの空間を共有し、それ以上言葉を必要としなかったのではないか。一点の曇り=私心なき大御心は、歴代天皇と同じく国民の心を優しく、だが激しく揺さぶるのだ。陛下と国民の間に修辞は必要ない。そうでなければ、極めて短い会話の後「長い間にわたり、われわれ遺族以上に、散華された方々を思ってくださっていたのが分かった」という気持ちにはなれない。