政府内には、首相がこの時期に会談することに否定的な見方があった。翁長氏が対決姿勢を軟化させる見込みがなかったからだ。対話をしたという訪米前のアリバイづくりとの批判を反対派から浴びることも避けられない。
それでもなお首相が会談に応じたのは、辺野古移設という日米合意を推進する覚悟を示すことを優先させたためだ。移設が実現しない限り、首脳会談直前に再改定する日米防衛協力の指針(ガイドライン)も絵に描いた餅になりかねない。
そもそも、翁長氏との会談は沖縄戦が終結したとされる6月23日の「慰霊の日」に合わせた首相の訪沖時が候補に挙がっていた。それを前倒ししたのは、日米首脳会談という政治日程に加え、「(翁長氏との)会談に応じなければ冷遇との批判がつきまとい、国民の視線も厳しくなる」(政府高官)との判断もあった。会談を実現して翁長氏の主張に耳を傾け、首相は批判の芽を摘んだわけだ。
一方、翁長氏は辺野古移設を阻止する考えを首相に直接訴えることはできたが、移設反対の世論喚起に向けた最大のカードを切ったともいえる。再会談で同じ主張を繰り返してもインパクトに欠けるためだ。