「恥史」を公開する博物館
軍艦武蔵発見で思い出した、済遠にまつわる話がもう一つ。前述したが、“降伏後”に火を噴いた21センチ砲などが、別の北洋艦隊母港・威海市(旧威海衛)沖・劉公島の甲午(日清)戦争博物館に展示されている。
帝國海軍はほぼ無傷で鹵獲した済遠を明治三十七八年戦役(日露戦争/1904~05年)に投入したが、旅順攻囲戦で二〇三高地を攻撃中の帝國陸軍を支援中、触雷し沈没した。1980年代に、大砲などを発見→引揚げられて博物館入りした。
中国の軍事博物館や抗日記念館には、インターネット上で訪れるだけで驚かされる。共産党軍は帝國陸海軍との主要戦闘を避け逃げ回っており、北京・盧溝橋の人民抗日戦争記念館や南京大虐殺記念館によくあれだけの“戦利品”を飾れるものだと、創作意欲には感心してしまう。この点、甲午戦争博物館は歴史を粉飾・捏造してまでメンツを重んじる中国にしては、史実に則した異色の博物館。敵前逃亡を犯した揚げ句に鹵獲→帝國海軍の艦籍となる「恥史」を公開している点だけではない。