大分県日田市の山あい、皿山を中心とする小鹿田地区で焼かれる陶器、小鹿田焼(おんたやき)。江戸時代に開窯(かいよう)して以来、一子相伝で技術を守り続けてきた。民芸運動の提唱者である柳宗悦(やなぎむねよし)が訪れ、「日田の皿山」という本を著し、バーナード・リーチが滞在制作したことで、その名が全国に知られるようになった。
山あいの道をのぼると、10軒の窯元が集まる山里へ到る。こっとんこっとん、集落の真ん中を流れる川の水車が陶土を搗(つ)く、唐臼の音が聞こえてくる。
裏山で採れた土が砕かれ、パウダースノーよりもさらになめらかになったら、水に入れて、ゴミやアルカリ分を取り除く。この水簸(すいひ)の作業を経て水を抜き、乾燥させた後、練って初めて粘土ができる。この間、約1カ月。近代以降、日本のやきものが合理化、機械化の方向へと進む一方で、小鹿田焼は、手間を惜しまず、昔ながらの技法を守り続けてきた。その理由は一体何だったのだろう。
土づくりは昔から女性たちの仕事で、男たちはその土を使って形をつくり、登窯(のぼりがま)で焼き上げた。学校から帰ってきた子供たちは当然のように家業を手伝う。伝統の根源は家族であり、小鹿田焼の歴史は家族愛によって支えられてきたことを知る。