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【RE-DESIGN ニッポン】自然が育むジャパン・ブルー (1/4ページ)

2014.10.17 15:05

本藍染矢野工場の2代目、矢野藍游(らんゆう)さん。天然灰汁発酵建て本藍染技術保持者であり、徳島のモノづくりの次世代を代表する人物である=2014年9月6日、徳島県板野郡藍住町(提供写真)

本藍染矢野工場の2代目、矢野藍游(らんゆう)さん。天然灰汁発酵建て本藍染技術保持者であり、徳島のモノづくりの次世代を代表する人物である=2014年9月6日、徳島県板野郡藍住町(提供写真)【拡大】

  • 矢野藍游(らんゆう)さんの手。藍染職人ならではの藍に染まったつめが職人の技術を物語っている=2014年9月6日、徳島県板野郡藍住町(提供写真)
  • 藍の熟成度合いが良く分かる「華」。良い藍色に染まるには、藍が生き生きと活動できる状態を保つ必要がある=2014年9月6日、徳島県板野郡藍住町(提供写真)
  • 本藍染で染められたコットンマフラー。化学染料では出せない天然ならではの深い藍色が魅力だ=2014年10月6日、徳島県板野郡藍住町(提供写真)

 徳島はかつて阿波国と呼ばれていた。そして、そこで生み出される「阿波藍」で染められた藍色は「ジャパン・ブルー」として世界で称賛されている。化学染料による染めが広がった明治以降、阿波藍は減少してしまったが、「天然灰汁(あく)発酵建てによる本藍染」という江戸時代から伝わる技法を受け継いでいるのが「本藍染矢野工場」である。「RE-DESGIN ニッポン」の第6回は、この日本ならではの色合いを生み出す藍染の文化と技術を受け継ぐ現場について取り上げる。

 阿波藍の歴史

 阿波では、平安時代に藍の栽培が始まったとされる。藍色はかつて「褐色」と言われ、「勝色」に通じることから、戦国時代に武士が好んで鎧下を藍染めで染めるようになり、生産が本格化された。そして清流・吉野川が台風襲来のたびに氾濫を繰り返してきたため肥沃な土が流域に運ばれたことや、台風シーズン前に藍の収穫ができたことなど、恵まれた自然条件が阿波を藍の産地にした。やがて阿波藍は市場の過半数を占めるほど、高い品質を誇り、江戸時代には「天然灰汁発酵建てによる本藍染」の技法が確立された。

天然素材ゆえの色

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