この原稿が掲載されるちょうどその日に、北極圏のツンドラ地帯でキャンプを始める予定だ。すぐ北に北極海を望む極北の辺境。前人未踏を思わせる原野にセスナ機で降ろしてもらう。
6月初旬のこの地域はちょうど春を迎えようとしている。山頂や川岸に分厚く残る雪も、白夜の日差しにさらされると、あっという間に姿を消してゆく。
枯れ草に覆われた茶色い地面を突き破り、無数の草花が芽吹いてくる。それまでの約9カ月間をじっと耐え忍んだ命が、ようやく陽の目を見る瞬間だ。
大地を覆う緑、そして花畑。無限の生命力が風景に満ちあふれる。
ここは本当にアラスカなのかと錯覚を起こすほどの柔らかな景色。つくしを見つけたりすると、いよいよ思考の調整が必要になる。
誰もいない、何もない地の果てで、ひとり満たされてゆく心を感じる。
≪心も豊かにする「うまい水」≫
雪解け水で勢いを増した河が、岸を浸食しながら海へと流れる。恐怖を覚えるほどのうねりと轟音(ごうおん)。しかしこの水がうまい。手を数秒浸すと痛みで耐えられなくなるほどの冷たさが、のどをきっぱりと清めてくれる。鞭毛虫(べんもうちゅう)による猛烈な下痢の危険はあるのだが、ダムからの放水のごとく流れる河からその一点を引き当てることなどないだろうと、都合のいい言い訳を唱えてしまうのだ。