実際、子育てはしやすいです。東京で育てても仲間が支えてくれたと思いますが、ありがたいことに奄美では母親同士がお受験などの競争をしないので、みな仲が良い。私が仕事で出かけると、車がないのに気付いた隣の同級生夫婦が、「大丈夫?」ってゴミ出しのことまで気にかけてくれます。
島では、いろんな世代が集まる場が昔からありました。広場には土俵があって、男どうし、目を見て「でぃ(やろうぜ、の意味)」って声をかけると、相撲が始まりました。秋には広場で収穫を祝う秋祭りがあって、集落のみんなで集まり、三味線を持って、唄(うた)ったりしました。船が大漁で戻ってきたときも、みんなでごちそうを持ち寄り、唄を唄います。
小さいころ、私が唄うといつも元気なおじいちゃんやおばあちゃんがぽろっと涙を流して聞いてくれました。お祭りでも唄いました。集落に対して唄う喜び。それが私の歌い手としての原点にはあります。
島ならではの、人のつながりは、街の中でも見られます。ひと雨きそうな空模様だったある日、スーパーの前にあるバス停にいた常連客のおばあちゃんに、「ばあちゃん、バスの時間まであと10分あるけど、中に入って待ってるといいよ」って、店員さんが声をかけているのを見ました。ご老人の重たい買い物バッグを、小学生が代わりに持ってあげて助けたり。