「生命を賭してやれ」
斯(か)くの如く、古(いにしえ)の戦争では、戦闘員も非戦闘員も決死だった。ところが、現代に姿を現した無人機は消耗品。パキスタンやイエメンでテロリストを殺害してきた米軍無人機は、将兵や技術者が米本土で操作するケースが多く「自宅を出て“戦場”に出勤する」と言われる。操縦者側が安全な一方で、一般国民を巻き込んだケースは、当該国や人権団体などが非難してもいる。10月上旬に米軍がリビアとソマリアで断行した作戦は、こうした事情に加え、国際テロ組織アルカーイダ幹部の殺害ではなく、さらに難しい拘束(情報収集)目的だったことで、特殊作戦部隊が投入された。
無人機やロボット兵士が戦車や装甲車、有人航空機の大半か一部を代替する兵器へと昇華する戦史は、既に刻まれ始めた。アルカーイダ幹部拘束が証明する通り、将兵の能力を完全に代行する日は今少し先になるが、無人機/ロボット運用は戦争の現実感を薄れさせ、ゲーム感覚を高揚させる危険を伴う。
そういえば、前述した米軍無人機リーパーは英語で《刈り取り機》。転じて、魂を刈り取る《死神》も意味する。(政治部専門委員 野口裕之/SANKEI EXPRESS)