8月の北京発時事電は、関係者の著書や研究者の論文で明らか。新味はない。
即ち-。中国の初代国家主席・毛沢東(1893~1976年)が1956から57年にかけ関係正常化を求め、大日本帝國の元帥陸軍大将・畑俊六(1879~1962年)ら大物軍人に工作を仕掛けた。畑は東京裁判で、所謂「A級戦犯」になり服役した。靖國神社参拝・合祀の政治問題化を謀る中国は「A級戦犯」の来中を当時、むしろ大歓迎していたのである。日本人左翼の限界を見抜き、保守政権に影響力を持つ旧敵「右派」との接触で、わが邦と米国・台湾との間にクサビを打ち込もうとしたのだった。その頃、鳩山某や小沢某といった中国にとり使い勝手の良い有力者がいたら、仲介した陸軍中将・遠藤三郎(1893~1984年)らも苦労せずに済んだろう。
毛沢東が大物軍人に工作
畑に加え陸軍大将・東久邇宮稔彦王殿下(1887~1990年/後に首相)に断られても、遠藤らは執拗に他の陸軍大将4人に働き掛ける。遠藤は戦後反戦・護憲運動に邁進、《日中十五年戦争と私-国賊・赤の将軍と人はいう=日中書林》なる工作の内幕モノを著す曰く付き将軍。最終的には6人の陸軍大将全てに断られた。従って、2回の訪中は陸海軍の中将以下となる。