思いの外(ほこ)ホコリを被(かぶ)っていない捜査資料と取材ノートを18年経(た)った今、読み返した。同盟国の在米大使館盗聴を暴露したCIA(米中央情報局)元職員の身柄をめぐり、米国とロシアの狡猾(こうかつ)な駆け引きを報じるニュースに触発されたからだ。
左上に《部外秘》とある資料はラストボロフ事件を《総括》した、600頁以上の分厚い冊子で、外務省職員や県教育長、弁護士、政党や大手メディアの幹部ら、ソ連の《手先》となった36人の裏付け捜査記録などが収まる。ノートはA4サイズ3冊とB5が2冊。表紙には平成7(1995)年春から夏にかけての月日が記されている。当時、筆者が担当した産経新聞の大型企画・戦後史開封の幾つかの連載の内、戦後のスパイ事件を綴(つづ)った取材記録だった。
ラストボロフ事件
事件は、在日ソ連代表部の二等書記官を装ったMVD(内務省)諜報員ユーリー・ラストボロフ中佐(1921年生まれ)が粛清を恐れ、米軍情報機関の手引きで昭和29(1954)年、米国に亡命。日本での衝撃的諜報活動を暴露し発覚に至る。