後方攪乱(かくらん)も騎兵の役割だった。05年2月、永沼秀文中佐(後に中将/1866~1939年)指揮の騎兵2個中隊176騎は露軍背後に潜入する。75日/2000キロをかけ鉄橋や通信線、糧秣(りょうまつ、糧食や軍馬の馬草)集積所を爆破・破壊。追跡してきた露コサック騎兵や砲兵の部隊に突貫し、これを退却せしめた。
ゲーム感覚高揚の危険性
永沼挺身隊同様、中国軍も(島嶼防衛の弱点の一つ)武器・弾薬・食料補給線の遮断を必ずや狙ってくる。その際、対艦攻撃能力を付加された無人機の投射は十分予想され、迎撃態勢整備が求められる。
永沼らが決死の任務に挺身している頃、日本の政治家も決死の覚悟を持ち、対露講和を模索していた。時の枢密院議長・伊藤博文(元首相/1841~1909年)は貴族院議員・金子堅太郎(後に農商務・司法の各大臣/1853~1942年)を呼び、米国大統領に講和仲介を呑(の)ませる旨命ずる。金子は「米国はロシアに弱く、難しい」と断るが、伊藤はたたみ掛ける。