日活新作映画を初上映する封切館として昭和29年に開館。20年代当時は映画ブームの最中で、界隈(かいわい)には日活だけでなく、東宝や大映など10軒以上の映画館でにぎわった。かつてを知る関係者は「昔の新世界はまさに一大映画街だった」と振り返る。
今年3月に87歳で亡くなった芳子さんの夫で、先代社長の秀太郎さんと親交が深かった宍戸錠さん、高橋英樹さんら“日活黄金時代”の銀幕スターも舞台あいさつで同館をたびたび訪れたという。
ただ、テレビの普及とともにブームは下火に。経営難に陥った日活は40年代半ばから制作費が安上がりの「エロス路線」へ切り替えた。同館も入居ビルの老朽化で51年に現在の建物に移ってからは約200席に縮小し、日活の主流だった「ロマンポルノ」を上映し始めた。
人気を集めたのもつかの間。今度はアダルトビデオ(AV)が登場し、映画館まで足を運ぶ人は次第に少なくなった。63年には日活もロマンポルノの製作を打ち切った。インターネット動画の普及も成人映画の衰退に拍車を掛けた。