「全聾(ろう)の作曲家」の今回の事件は私たちにさまざまなことを考えさせた。私はここであたかも最高審判者のごとく、この出来事を高所から論じるつもりはない。メディアはこの人物を奇跡の作曲家として大きく取り上げ、現代のベートーベンにたとえた。音楽専門家をも含めて多くの人々がそれを感動秘話として受容し、今回の実作者の告白がなされるまで、日本の社会でそのまま受け入れられてきた点に、日本のクラシック界だけではなく、メディアに盲目的なまでに左右されるわが国の現実が図らずも露呈したように思う。
実作者の告白後、この件に対して詐欺罪や共犯といった法律論や、芸術家のモラルに対する道義的な瑕疵(かし)や犯罪性を強調する意見が行き交い、多くの人々は手のひらを返したように自らを被害者の立場に置き、公序良俗に対する非違行為を説く。しかし、これもいささか奇異である。そこまでの高い判断力をもっているのであれば、なぜ早い段階において人々は疑義を呈し、感動秘話を流すメディアに対してダウトをかけなかったのであろうか。