ただし、このブレーキもモーターを制御しなければ強烈で、とても実用的とは言えない、日産は実験を繰り返しながら0.15Gという減速加速度を決め、その過渡特性を作り込んだ。そうして加速も減速も人が気持ち良い制御ができるようになったのである。
つまり、電気自動車未満のクルマで、かつ加減速制御の気持ち良いクルマを作れば、マーケットが反応する可能性があり、それはまた塩漬けのリーフに対する支援策にもなる。そうしてノートe-POWERのプロジェクトはスタートした。
手持ちの部品だけで成立させたヒット商品
ただし、そういう企画があってゼロからスタートしたわけではない。日産社内では既に2007年ごろから、エンジニアの自称「部活動」によって、ノートのボディ/エンジンとリーフのモーターを組み合わせた非公式な先行開発車両を制作中だったのである。それに商品企画が目を付けた。2014年、部活動は急遽正規プロジェクトに格上げされた。たった2年で発売に漕ぎ着けることができたのは、この部活動があったからだ。
一番大変だったのは、エンジンとモーターの搭載だ。ノートはHR12型エンジンが搭載されることが前提で設計されている。そこにさらにモーターとインバーターを入れなくてはならない。どれかが新規設計ならともかく、エンジンもモーターもシャシーも全部ありものを使わざるを得ない。リーフにはモーターのみ、ノートにはエンジンのみが搭載される。それを前提に全てのサイズが決まっているものを両方とも1つのエンジンコンパートメントに押し込むのである。それは大変な作業だったことが容易に想像できる。
こうしてデビューしたノートe-POWERがヒットした原因は何だろう? 筆者は4つの理由があると思う。1つ目はトヨタハイブリッドの一人勝ちに反感を感じる層がいたのだと思う。皆と同じクルマは嫌だという気分はかなり購入を左右する。
2つ目は日産ファンが積極的に選びたいクルマが長らく枯渇していたこともあるだろう。そうした人たちが、これならと飛びついたと思われる。そして3つ目はノートそのもののポテンシャルが高かったことだ。過去5年を振り返ってみると、プリウス、アクア、フィットというハイブリッド勢が、三つ巴のトップ争いをしている間、リーフはずっと4番手の常連だった。現代のBセグメントカーとしては異例に広いリヤスペースが他にはない魅力になっていたのだと思う。最後に、日産が重視した気持ちの良い動力性能が挙げられるだろう。