金田: ある日、初代社長が銀座に足を運んだときに、タバコのPeace(ピース)を配っている女性たちを目にしたんですよ。その光景を見て、「女性が横浜駅でシウマイを販売すれば、世の中を明るくすることができるのではないか」と考え、「シウマイ娘」と書かれたたすきをかけて、女性たちがシウマイを売ることに。
当時、駅のホームで弁当や雑貨を売っていたのは男性ばかり。なぜかというと、たくさんの弁当を持ち歩くって重労働なんですよね。しかも、大声を出さなければいけない。さらに、列車の窓から受け渡しをしなければいけなかったので、背の低い女性には向いていない。そうした状況の中で、158センチ以上の女性に販売してもらうことに(時期により前後あり)。赤い制服を着用していたこともあって、とにかく目立ちました。しばらくすると「シウマイを買うなら、シウマイ娘から」といった感じで、話題になりました。
1952年(昭和27年)には、毎日新聞で連載された小説『やっさもっさ』にシウマイ娘が登場したんですよ。また、翌年に映画化されたこともって、「シウマイ」の認知度が一気に広がっていきました。このころになって、ようやく課題が解決しました。「横浜駅は駅弁を売るのに不利な場所ではなくなった」んですよね。
土肥: それまで東京駅や静岡駅などで駅弁を買っていたのに「いや、横浜駅にシウマイ娘がいるらしいぞ。彼女たちから弁当を買おう」という人が増えていったわけですね。
金田: はい。