南京町から職人をスカウトして、試作品づくりが始まりました。開始から約1年、豚肉に干しホタテ貝柱を混ぜ合わせることで、味に深みが増して冷めてもおいしさを持続することが分かってきました。また、揺れる列車の中で食べる状況を考え、女性でもこぼさずに食べることができるようにひとくちサイズにしました。そうして、1928年(昭和3年)に「シウマイ」を発売しました。
土肥: 売れたのですか?
シウマイ娘の登場で、爆発的に売れる
金田: 創業者は「絶対に売れる!」と自信があったそうなのですが、苦戦しまして。あまりに売れなかったので、社内からは「シウマイを売るよりも、違う弁当を売ったほうがいいよ」といった声がありました。でも初代社長はあきらめずに、あの手この手を打ちました。「一度でも食べてもらったらシウマイのおいしさを分かってもらえるはず」と考え、無料引換券を配りました。あと、シウマイの存在を知ってもらうために、飛行機からビラをまいたんですよね。
土肥: え、自宅の庭にゴミ……いや、失礼。ビラが落ちているわけですよね。そんな広告手法があったのですか? ワタシが子どものころ(1970年代)、セスナ機が音声テープを流しながら飛んでいたのは、記憶に残っていますが……。
金田: いまでは考えられませんが、当時は行っていたそうです。そうした手を打つことで、売り上げは少しずつ増えていったのですが、それでも「ヒット商品」といえるほどではありませんでした。そんな中で、爆発的に売れるきっかけがあったんですよ。1950年(昭和25年)に「シウマイ娘」が登場するんですよね。
土肥: シウマイ娘? 何ですかそれ?