「そういう問題じゃないだろう」と怒鳴りたいのを抑えながら、小林社長は「責任を持った答えが今はできません。こっちだって被災地の役に立ちたいんです。ベストは尽くします」そういって受話器を置いた。
いったん自宅に戻り、入浴していた小林社長は再び電話に呼び出された。相手は経済産業省資源エネルギー庁の審議官。「ガソリンがなくて被災地では救急車もパトカーも動かせない状態です。なんとか石油を運んでもらえませんか」。通常、監督官庁以外の官僚から直接連絡が入ることはない。それだけに事態の深刻さを感じずにはいられなかった。
正式の運行指示
被災地の石油不足に、政府の対応は後手に回っていた。当時の海江田万里経済産業相が資源エネルギー庁幹部から石油不足を伝えられたのは13日夜。同日、計画停電についての発表を終えた後、資源エネ庁幹部が海江田氏に「被災地でガソリンが絶対的に足りません」と耳打ちした。
石油元売り業界を所管する経産省だが、石油製品の在庫情報は把握できていなかったという。2002年に石油業法が廃止されたことで、業界からの報告が減ったことも大きかった。