一方、旅客機開発も、同社が中心的役割を果たした「YSー11」以来、約50年ぶりだ。別の重工メーカーからは「飛行機の開発は特に失敗や計画の遅れがつきもの。『生みの苦しみ』は避けられない」との同情的な声も聞かれる。
だが同社の“失態”は、自ら招いた側面もある。
「受注優先のマインドがあった。楽観的で拙速な判断があった」
大型客船の損失原因を検証する社内評価委員会の木村和明委員長(三菱重工常務)は、背景に技術力への過信があったことをにおわせる。
造船事業は、同社にとって長崎で約130年前に始めた「祖業」だ。同社は、大型客船を手がけた長崎造船所などの事業所が、自ら事業を仕切る態勢を最近まで敷いてきた。
「(長崎造船所は)大変プライドが高く、閉鎖性もあったのでは」。宮永社長は会見で、背後に潜む「負の伝統」に言及した。
同社は、本社に対応可能な人材が不足したことも事業所任せの原因になっていたとして、「事業リスクマネジメント委員会」を立ち上げる方針だ。これにより全事業で会社レベルのリスク管理を徹底し、特別損失の額を年300億円以上減らすとしている。日本を代表する名門メーカーとして、これ以上の「オウンゴール」は許されない状況だ。(井田通人)