椋本氏がコンペに出した資料は、表紙も含めた4枚ワンセット。1枚は共通の提案フォーマット。残りは椋本氏の思いがこもったビジュアル資料になっている。残念ながら非公開情報だが、そのうち2枚には椋本氏が手描きしたボディが載っている。
「初めてつくった資料で、とくに意識した点はないのですが、強いて言えば、技術のことをあれこれ書かないで、フックになるような言葉を一発入れたこと。そのほうが、自分だったら見るなと思いました」
コンペで3位までに入ったのはいずれも軽のスポーツカー。他の2つの提案書には、技術的なことが詳細に記されていた。椋本氏が強調したのは技術ではなく「ほしい、乗りたい、おもしろい」というメッセージだ。
「自分にとってのホンダはワクワクするような価値を提供する会社です。私が入社したころはその価値が少し薄れているようにも感じたので、もっと出していきたいと思ったんです」
コンペに参加した当時、21歳だった椋本氏は振り返る。だが実は、最初はもう少し技術寄りの資料をつくっていた。
「同僚のおじさんが私の提案書をのぞいて『つまんないね』と言ったんです。どこがつまんないかを聞くと、『若くない』と。なんだ若い感じでいいんだ! かしこまる必要はないんだと思いました」
同僚につぶやかれたひと言で、椋本氏は「なんで、このクルマをつくりたいんだっけ」と原点に返って、想いを最大限表現する資料をつくることにした。