【世界へテークオフ 国産ジェットの挑戦】(上)
抜けるような秋空に、真新しい機体が弧を描いた。11日午前、愛知県営名古屋空港。歓声や拍手が沸き起こる中、三菱航空機初代社長を務めた戸田信雄は、興奮で手を震わせながら、小さくなる機体を目で追った。胸中に浮かんだのは、13年前の秋のことだった。「納入事業者(サプライヤー)から脱却しなければ、名航は生き残れない」。2002年。当時、三菱重工業名古屋航空宇宙システム製作所(名航)所長だった戸田は、こんな危機感を感じていた。
朱印押した“血判状”
三菱重工で航空事業の中核と期待した支援戦闘機F2は、同年8月、財政悪化を理由に防衛庁が調達数の削減を決定した。三菱重工が得意とする航空機用の材料分野には、新興国勢が参入する動きもあり、価格競争の懸念もあった。
「サプライヤーのままではもうからない。完成機メーカーになりましょう」。戸田らは小型ジェット旅客機の開発案をまとめ、取締役会に提出した。背中を押したのは航空事業への危機感と、経済産業省が03年度概算要求に掲げた「環境適応型高性能小型航空機」の開発計画だ。