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菅元首相ら18人分も 吉田調書公開 政府が方針転換

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菅元首相ら18人分も 吉田調書公開 政府が方針転換

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東京電力福島第1原発で記者団の質問に答える吉田昌郎(まさお)所長(中央)=2011年11月、福島県(共同)  政府は11日、東京電力福島第1原発事故をめぐり、政府の事故調査・検証委員会が関係者から当時の状況を聞いた「聴取結果書(調書)」のうち、現場の指揮を執った吉田昌郎(まさお)元所長=昨年7月、58歳で死去=や菅直人(かん・なおと)元首相(67)ら計19人分を公開した。関係者を非公開で聴取した政府事故調の調書が公開されるのは初めて。

 調書の中で吉田氏は、東電が第1原発から全面撤退すると当時の政権が解釈したことを「誰が逃げようとしたのか」と強く否定。菅元首相は、自らが東電本店に乗り込んで「撤退はあり得ない」と演説したことにより全面撤退を食い止めたとの認識を示し、意見が対立した形となっている。

 公開されたのは吉田氏、政権幹部として事故対応に当たった菅元首相、枝野幸男(ゆきお)元官房長官(50)、原子力委員会の近藤駿介元委員長らの調書。

 菅元首相は事故の翌朝に第1原発を視察した理由について「(東電側と)コミュニケーションがスムーズに行かず、現場の責任者と会って話をした方がいいと判断した」と説明。枝野氏らが視察を反対したことには「どの程度強く反対したかは、そんなに意識はない」と語った。

 これに対し、細野豪志(ごうし)元首相補佐官(43)は「私は指揮官が(官邸を)離れることに反対だったが、性格からいってあの人は絶対行くと思った。ものすごくあの人は苛烈な性格だ」と指摘。「今考えたら、ものすごく大きなリスクだった。(視察を)止めなかったという自責の念もあった」と反省を述べた。

 吉田氏は生前、自身の調書の扱いをめぐり「内容の全てが事実であったかのように独り歩きしないか危惧する」として非公開を求めていたが、政府は吉田氏の調書の内容が報道されたことを受け、方針を転換した。

 ≪生々しい肉声記録…「歴史的資料」解読を≫

 東京電力福島第1原発で、所長として現場の指揮を執った吉田昌郎(まさお)氏の聞き取り調査をまとめた「吉田調書」は、現場指揮官の生々しい肉声を詳細に記録した唯一の歴史的資料だ。さまざまな専門家が精査することで、事故原因の新しい発見や、今後の事故防止につなげることが期待されている。

 「われわれのイメージは東日本壊滅ですよ。本当に死んだと思った」

 吉田調書によると、2011年3月14日、2号機の原子炉格納容器の圧力が上昇し注水もできない危機的状況に陥った際、吉田氏はこのような表現で当時を振り返った。これまで明らかにされていなかった現場からの認識だ。

 吉田氏は事故後、一度も記者会見を開いていない。吉田調書を作成した政府の事故調査・検証委員会の報告書は、事故の原因や状況を冷静に分析することに努めているため、吉田氏の肉声はほとんど記載されていない。未曽有の事故が進展する中、現場指揮官がどう考え、どう動いたか、これまで伝えられなかったことの方が異常だった。

 メディアに吉田氏が初めて登場したのは、第1原発が報道陣に公開された11年11月。事故から8カ月を過ぎており、許されたのはごく短い時間のいわゆるぶら下がり取材だけだった。メディアの取材依頼は殺到するものの、吉田氏はその後、健康診断で食道がんが見つかり、11年12月に所長を退任。体調は戻らず、13年7月に他界した。

 原発の事故原因を引き続き調査している原子力規制委員会の田中俊一(しゅんいち)委員長(69)は「危機的に追い詰められた状況で、吉田氏がどういう判断をしたのか、割合本音が出ているとしたら、どこか将来に生かすべきなのか、非常に関心がある」と話した。

 規制委は、今月10日に「合格証」を交付した九州電力川内(せんだい)原発(鹿児島県)を含めて計13原発20基を審査している。大規模な地震や津波に施設が耐えられるかなど設備面での審査に集中しており、現場の作業員がどう考えてどう動くべきかなど、ソフト面での審査は必ずしも十分でない。

 吉田調書には、事故時の現場の“感覚”が極めて細かく記録されている。ある電力会社の幹部は「事故時の訓練は常にやっている。しかし本当に自らの命と周囲の危機が迫っているときに作業員がどう動くか、机上では計り知れないものがある」と話し、吉田調書の解読を進めることを示唆した。吉田氏が明らかにした教訓をどう読み取るべきか、事業者とともに、原発の本格的な再稼働が近づく国全体が直面している課題である。(SANKEI EXPRESS

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