SankeiBiz for mobile

「東電が全面撤退」菅氏主張を否定 福島第1事故「吉田調書」 官邸の責任証言

ニュースカテゴリ:EX CONTENTSの科学

「東電が全面撤退」菅氏主張を否定 福島第1事故「吉田調書」 官邸の責任証言

更新

 2011年3月の東京電力福島第1原発事故に関し、産経新聞社は8月17日、政府の事故調査・検証委員会が事故発生時に所長として対応に当たった吉田昌郎(まさお)氏(13年7月9日死去)に聞き取り調査してまとめた「聴取結果書」(吉田調書)を入手した。吉田氏は、東電が事故発生3日後の(2011年3月)14日から15日にかけて第1原発から「全面撤退」をしようとしていたとする菅直人首相(当時)らの主張を強く否定し、官邸からの電話指示が混乱を招いた実態を証言している。

 吉田氏への聴取は11年7月から11月にかけ、事故収束作業の拠点であるサッカー施設「Jヴィレッジ」と第1原発免震重要棟で計13回、延べ27時間以上にわたり行われた。吉田調書はA4判で約400ページに及ぶ。

 それによると、吉田氏は聴取担当者の「例えば、(東電)本店から、全員逃げろとか、そういう話は」との質問に「全くない」と明確に否定した。細野豪志(ごうし)首相補佐官(当時)に事前に電話し「(事務関係者ら)関係ない人は退避させる必要があると私は考えています。今、そういう準備もしています」と話したことも明かした。

 特に、東電の全面撤退を疑い、15日早朝に東電本店に乗り込んで「撤退したら東電は百パーセント潰れる」と怒鳴った菅氏に対する評価は手厳しい。吉田氏は「『撤退』みたいな言葉は、菅氏が言ったのか、誰が言ったのか知りませんけれども、そんな言葉を使うわけがない」などと、菅氏を批判している。

 一方、朝日新聞は、吉田調書を基に5月20日付朝刊で「所長命令に違反 原発撤退」「福島第1 所員の9割」と書き、11年3月15日朝に第1原発にいた所員の9割に当たる約650人が吉田氏の待機命令に違反し、10キロ南の福島第2原発へ撤退していたと指摘している。

 ところが実際に調書を読むと、吉田氏は「伝言ゲーム」による指示の混乱について語ってはいるが、所員らが自身の命令に反して撤退したとの認識は示していない。

 ≪「首相を辞めた途端、そんなのを発言する権利あるんですか」≫

 「私にとって吉田(昌郎(まさお))さんは『戦友』でした。現(安倍)政権はこの(吉田)調書を非公開としていますが、これは特定秘密にも該当しないし、全面的に公開されるべきです」

 菅直人(かん・なおと)元首相は月刊宝島8月号で、ジャーナリスト(元朝日新聞記者)の山田厚史(あつし)氏のインタビューに対し、東電福島第1原発の元所長、吉田氏を自らの「戦友」だと述べている。

 だが、産経新聞が入手した吉田調書を読むと、吉田氏側は菅氏のことを「戦友」とは見ていない。むしろ、現場を混乱させたその言動に強い憤りを覚えていたことが分かる。

 アンフェアも限りない

 例えば、政府事故調査・検証委員会の2011年11月6日の聴取では、「菅さんが自分が東電が逃げるのを止めたんだみたいな(ことを言っていたが)」と聞かれてこう答えている。

 「(首相を)辞めた途端に。あのおっさんがそんなのを発言する権利があるんですか」

 「あのおっさんだって事故調の調査対象でしょう。辞めて、自分だけの考えをテレビで言うというのはアンフェアも限りない」

 菅氏は11年8月の首相辞任後、産経新聞社を除く新聞各紙やテレビ番組のインタビューに次々と応じ、自身の事故対応を正当化する発言を繰り返していた。これを吉田氏が批判的に見ていたことがうかがえる。また、菅氏が自分も政府事故調の「被告」と述べていたことから、吉田氏は「被告がべらべらしゃべるんじゃない」とも指摘し、事故調が菅氏に注意すべきだとの意見を表明した。

 菅氏だけでなく、当時の海江田万里(かいえだ・ばんり)経済産業相や細野豪志(ごうし)首相補佐官ら菅政権の中枢にいる政治家たちが、東電が全面撤退する意向だと考えていたことに対しては「アホみたいな国のアホみたいな政治家」とばっさり切り捨てている。

 喚いているうちに爆発

 その菅氏は今年7月24日付のツイッターで、吉田調書についてこう書いた。

 「吉田調書など(で)当時の状況が明らかになり、発生翌朝現地で吉田所長から話を聞き、撤退問題で東電本店に行った事も理解が増えています」

 吉田氏の肉声はこれとは食い違う。政府事故調の聴取(11年7月22日)で「(菅氏は)何のために来るということだったんですか」と質問され、こう突き放している。

 「知りません」

 「行くよという話しかこちらはもらっていません」

 さらに必死で作業を続けている所員らに菅氏が激励もせずに帰っていったことを証言している。

 菅氏が震災発生4日後の15日早朝、東電本店に乗り込んだことにも冷ややかだ。同じ頃、現場でまさに死と向き合っていた吉田氏は7月29日の聴取で、テレビ会話を通して見た菅氏の東電本店での叱責演説についてこう語っている。

 「ほとんど何をしゃべったか分からないですけれども、気分悪かったことだけ覚えています」

 「何か喚(わめ)いていらっしゃるうちに、この事象(2号機で大きな衝撃音、4号機が水素爆発)になってしまった」(SANKEI EXPRESS

 ■政府の事故調査・検証委員会 東京電力福島第1原発事故の調査と再発防止を検証するため2011年5月に政府が設置した。委員長は畑村洋太郎東大名誉教授。委員会は資料の分析のほか、首相だった菅直人(かん・なおと)氏ら事故当時の閣僚、東電幹部など関係者計772人のヒアリングを実施し、総聴取時間は1479時間に上った。12年7月23日に最終報告をまとめた。

ランキング