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福島第1原発 中央制御室を公開 「修羅場の記憶」 計器盤に走り書き
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報道陣に公開された1、2号機中央制御室=2014年2月26日午前11時57分、福島県双葉郡大熊町の東京電力福島第1原発(代表撮影) 東京電力は2月26日、福島第1原発事故から来月(3月)11日で3年を迎えるのを前に、事故対応の最前線となった1、2号機の中央制御室を報道各社に公開した。
事故当時、全ての電源を失った制御室では運転員らが暗闇の中、懸命に対応に当たっていた。鉛筆の走り書きなど当時の痕跡はそのまま残されている。室内の放射線被曝(ひばく)線量は下がっているものの、遠隔操作で計器を監視している。
東京電力が26日に公開した福島第1原発1、2号機の中央制御室。1、2号機の間にあり事故当時は最前線の現場だった制御室の計器盤には、刻々と低下していく原子炉の水位が鉛筆で書かれたまま残されていた。暗闇の中、不安と恐怖におびえながらも、記録しなければいけないという強い使命感。最前線で働く運転員たちの「闘いの証し」がそこにはあった。
1、2号機海側の中央制御室がある建屋についた。1階は津波で浸水したため壁が壊れたまま残り、配管もむき出しの状態だ。原発の頭脳であり、精密機器がある中枢部の入り口とはとても思えない。
2階の制御室。向かって右側に1号機、左側に2号機の計器盤がある。除染のため床のカーペットははがされ、汚染防止のピンク色のビニールが敷かれていた。室内は整理され、かつての修羅場を思い起こさせるものはない。
津波襲来時には、計器類の警報音が鳴り響くなか、次々と照明が消えていったという。今回の公開ではその状況を再現するため、5秒間だけ照明を消した。一瞬にして真っ暗に。目の前にいた別の記者の背中も見えない。津波の襲来と制御できなくなった原発、そして暗闇。恐怖感はいかばかりだったかと感じた。
かつての修羅場と違い、今は静寂の中にある制御室。そのなかで唯一、事故を物語る証拠が計器盤に書かれていた。
《16:40 マイナス90センチ》
《16:50 マイナス120センチ》
《16:55 マイナス130センチ》
運転員が暗闇のなかで懐中電灯だけを頼りに原子炉の水位を記録したものだ。別の水位計の隣には3月11日夜から翌未明にかけ、水位が上昇していることを示す走り書きが計器盤に残されていた。
東電社員は「後に水位計は壊れていたことが判明するが、当時はできることをやるしかなかった。運転員としての執念は誇りに感じる」と話す。
今回は、汚染水漏れ事故に対処するため、より頑丈な「溶接型」タンクが建設される現場も公開された。今年6月までに1000トンタンク97基ができる予定で、すでに31基が完成した。しかし福島第1原発では現在、人為的なミスが相次ぎ問題となっている。人為的ミスによる漏洩(ろうえい)は頑丈なタンクでも防ぎようがない。
「闘い」は3年たっても続いている。後に誇りに思えるよう慎重な収束作業が必要だ。制御室の走り書きの文字をみて、そう強く感じた。(荒井敬介/SANKEI EXPRESS (動画))