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カンボジア特別法廷 旧ポト派元最高幹部2人に終身刑 死去、認知症、高齢の被告…厳しい時間との闘い

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カンボジア特別法廷 旧ポト派元最高幹部2人に終身刑 死去、認知症、高齢の被告…厳しい時間との闘い

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 カンボジアの旧ポル・ポト政権による大虐殺を裁く特別法廷は8月7日、「人道に対する罪」に問われた元最高幹部2被告の判決公判を開き、ポル・ポト元首相に次ぐナンバー2だったヌオン・チア元人民代表議会議長(88)とキュー・サムファン元国家幹部会議長(83)に、それぞれ求刑通り最高刑の終身刑を言い渡した。

 特別法廷では2012年にカン・ケ・イウ元政治犯収容所長(71)の終身刑が確定しているが、元最高幹部に対する判決は初めて。両被告の弁護団はともに控訴する意向を示した。

 ポル・ポト政権は1970年代後半に虐殺などで200万人近くを死に追いやったとされる。79年の政権崩壊から35年を経て、ようやく政権中枢の指導者が公正な裁判で裁かれた。

 2011年に始まった元最高幹部らの裁判は、被告の年齢などを考慮し、迅速化のため罪状ごとに分割して審理、それぞれ判決を出す形式。今回判決が言い渡されたのは、両被告の最初の裁判。1975~77年の住民強制移住や、旧ロン・ノル政権兵士の処刑に関する「人道に対する罪」が裁かれた。

 公判では両被告とも無罪を主張。だが判決は、両被告がこれらの犯罪を計画、扇動するなどしたと指摘し、刑事責任をほぼ全面的に認定。首都プノンペンから地方へ少なくとも200万人が強制移住させられ、多くの人々が殺害されたほか、飢餓や病気で死亡したとした。

 ≪死去、認知症、高齢の被告…厳しい時間との闘い≫

 ポル・ポト政権の中枢にいた元最高幹部2人に歴史的な法の裁きが下った。元最高幹部を断罪した初めての判決は、ポル・ポト政権時代の評価を定め、分断されてきた国民の和解促進に大きな意義を持つ。だが、両被告の裁判は分割審理されており、今回はその最初の一部分にすぎない。高齢の被告たちを前に、特別法廷はさらに厳しい時間との闘いを強いられている。

 カンボジアではポル・ポト政権崩壊後も、長い内戦などのため、本格的な政権の検証は行われてこなかった。1993年に新生カンボジアが誕生、ポト派の責任追及の動きが始まったのは90年代後半。2004年にようやく国際社会の支援による特別法廷の設置が決まった。

 最高指導者のポル・ポト元首相は既に1998年に死去しており、特別法廷で起訴されたのは5人。まずプノンペンにあった政治犯収容所のカン・ケ・イウ元所長の裁判で2012年2月に終身刑が確定した。

 だが、11年に始まった元ナンバー2のヌオン・チア被告ら元最高幹部4人の公判は難航。イエン・チリト元社会問題相は12年9月、認知症のため裁判を受けられる状態ではないとして釈放された。夫のイエン・サリ元副首相兼外相も昨年(2013年)3月に死去。4被告のうち2人が“消え去る”事態となった。

 今回の裁判は初公判から判決までに約3年を費やした。分割審理の2番目となる裁判の公判は先月(7月)末に始まったばかりだ。

 特別法廷は2審制。法廷当局者は「分割審理により裁判を急ぐのは、部分的にでも何とか被害者らが納得する“結果”を得るためだ」と強調するが、2審判決の前に被告が世を去るようなことになれば、確定判決を得られないまま終わることになる。

 ポル・ポト政権時代の膨大な資料を収集している「カンボジア虐殺記録センター」のチャン・ユー所長は、今回の判決を「より良い民主社会へ向けた長い道のりの始まりにすぎない」と形容する。

 裁判では、ポル・ポト政権の指導理念や組織の全体像、命令系統など大虐殺の真相究明が期待されてきたが、被告らは口をつぐんだままだ。特別法廷は慢性的な資金不足で、予算の4割近くを拠出する最大支援国の日本を含め各国の支援も息切れ状態。人類史に残るポト派の犯罪の全容解明に向け、さらなる裁判の加速が求められる。(共同/SANKEI EXPRESS

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