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【まぜこぜエクスプレス】Vol.14 教育でガーナの子供守る エニジェ代表・矢野デイビットさん

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【まぜこぜエクスプレス】Vol.14 教育でガーナの子供守る エニジェ代表・矢野デイビットさん

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タレントの矢野デイビットさんとガーナの子供たち。現在、教育支援団体「Enije(エニジェ)」はガーナに中学校を建設中だ=ガーナ(提供写真)  ミュージシャンでタレントの矢野デイビットは、ガーナで教育支援などを行っている団体「Enije(エニジェ)」の代表でもある。日本人の父とガーナ人の母の間に生まれ、2つの国の「懸け橋になりたい」と活動する彼の思いを聞いた。

 毎日がサバイバル

 ガーナ語の「Enije(エニジェ)」は、「楽しむ」「喜び」「幸福」という意味。なんてすてきな言葉だろう。デイビットは「Enije」の活動の核である教育支援について、「知恵をつけることで子供たちは自分を守ることができる。教育は可能性を広げる」と話してくれた。彼が「子供たちを守りたい」と強く望むのには理由がある。彼もまた時代や環境の中で困難を強いられてきた経験があるからだ。

 デイビットは日本人の父とガーナ人の母の間に、3兄弟の次男としてガーナで生まれた。当時のガーナは政局が不安定で経済は最悪。治安が悪く、盗賊が外国人を襲うトラブルが続出していた。彼が6歳の時、家族はライフルをもった盗賊に襲われる。何とか家族の命は救われるも一夜にして多くのものを失った。「これ以上、ガーナで暮らすのは危険」と日本へ。しかし、ガーナ人の母親にとって日本での生活は容易でなかった。

 仲の良い夫婦だったが、やがて離別。デイビットは8歳で養護施設に預けられる。この施設で一生の恩師と呼べる何人かの大人と出会う貴重な縁も得たが、当時の施設の子供社会は、強い者が力を持つ環境だった。毎日がサバイバルだったという。さらに学校でも肌の色がちがうことから、日常的にさまざまな差別を受けてきた。そんな日々の中で人間を嫌いになることはなかったのだろうか?

 「これ以上嫌いになれないところまで嫌いになった。今でも人は苦手かもしれない」と、彼は穏やかに答える。

 「日々、トラウマとコンプレックスと戦いながら生きている。だけど人の弱さと向き合いつつ、少しでもよいところに向かっていきたいという思いがある」

 「仕方がない」に怒り

 デイビットが、もう一つの祖国であるガーナに戻ったのは20歳を超えてから。国籍は日本人なのに日本人としてのアイデンティティーを持つことができない自分に悩んでいたころ、ある人から「もう一つの文化をリスペクトしないのは可能性を無駄にしている」と言われ、その3週間後に再びガーナを訪れた。友人との食事中に、金をねだりにきた5、6歳の男の子に出会う。その子供があまりにも幼いころの自分と似ていたことに彼は衝撃を受けた。

 そして、「こんな治安の悪い所でどうやってこの子は自分を守るんだ」と心を痛める。

 その時、一緒にいた友人の「仕方がない」という言葉に彼は強い戸惑いを覚えた。暴力が横行する中、見て見ぬふりをする大人たち。誰も守ってくれないという絶望感にさいなまれた自分の子供時代を思い出したからだ。

 「子供を守れない大人にだけはなりたくない」「彼らが安心できる環境をつくりたい」。この出会いが「Enije」発足のきっかけとなる。

 思いは強かったが資金がなかったため、「できることからやる」と決めた彼はまずノートを100冊ほど持ち、ガーナに出かけた。日本で育った彼は「ノートなんかでは喜んでもらえないだろう」と思っていたという。けれども彼の予想は裏切られる。子供たちは一冊のノートに大喜び。涙する子もいた。子供たちの素直な反応に感動し、彼も思わず泣いてしまったという。「可能な限り活動を続けていこうと思った」

 本当の幸福ってなんだろう。デイビットは問いかける。「ガーナは物質的には問題があるが、日本も幸せな国だとは思えない」。実際、日本では15年間以上およそ3万人の自殺者がいる。これだけモノがあふれ、とても便利な国なのに何かがおかしい。「ガーナに行くと、人として大切なことを、たくさん学ぶことができる」。デイビットが見つけたものが何なのか。考え続けていきたいと思った。(一般社団法人「Get in touch」理事長 東ちづる/SANKEI EXPRESS

 【ガイド】

 デイビットは「矢野ブラザーズ」として兄弟3人でライブ活動も行っている。詳細はオフィシャルブログ(ameblo.jp/devid)で。

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