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「主権回復の日」式典見送りは不誠実

 今年の4月28日の「主権回復の日」は静かな一日になりそうだ。昨年(2013年)のこの日は天皇・皇后両陛下をお迎えして初の政府主催式典を開催し耳目を集めたが、今年は政府のみならず、旗振り役だった自民党も、自民党有志による「4月28日を主権回復記念日にする議員連盟」も、何の集会も行事も行わず、なりを潜めるというからだ。だが、その理由の一つが「沖縄市長選や県知事選に配慮するためだ」というのだからいただけない。

 沖縄首長選で「一変」

 (4月)15日の議連の総会で野田毅議連会長からの説明は次のようなものだった。

 「端的に説明すれば、今度の4月27日は沖縄市長選の投票日だ。大変大事な市長選であり、秋には知事選もあるというタイミングだ。国益の最たるところの一つでもあるのでご理解いただきたい」

 そのうえで野田氏は、議連主催による講演会やイベントなどについて「やろうかという思いはあった」と言いながらも、見送りの方針を決めたことも合わせて明らかにした。

 確かに昨年(2013年)の式典開催に対しては、沖縄県民の一部が抗議集会を開くなど反発する動きがあった。沖縄は1952年4月28日のサンフランシスコ条約発効後も米軍の施政下に留め置かれたため、本土から切り離された「屈辱の日」であり、そんな日に式典とは何だという批判が起きた。今年も式典を開けば、自民党が支援する候補の足を引っ張りかねないから、見送るというわけだ。

 議連参加者のほとんどがこの決定を無言で了承したが、当選1回の若手が「沖縄市長選があるからという高度に政治的な判断で式典をやめるというのはおかしい。同じ論理でいけば、北方領土が戻るまで主権回復の式典ができないことになる。堂々とやるべきだ」と異議を唱えた。これに対し、議連役員たちは「会議の流れを読まない者がいる」といわんばかりに眉をひそめるばかりで明確な説明はできずじまいだった。

 沖縄市長選など持ち出さず、昨年(2013年)の式典後に「毎年開催したい」と意気込んだことはなかったことにして、「今後とも節目の年に開催する」という昨年の参院選公約に沿って、「今年は節目ではないから開催しないのだ」という説明で押し通した方がまだましだった。

 改めて意図の説明を

 昨年(2013年)の式典開催に際しては、政府も議連も「主権を喪失していた歴史を静かに振り返り、国の行く末を考えるきっかけの日にするのが目的だ」と説明し、批判勢力に繰り返し理解を求めたはずだ。

 安倍晋三首相も式典で「これまでたどった足跡に思いをいたしながら未来に向かって希望と決意を新たにする日にしたい」と訴え、「沖縄が経てきた辛苦に深く思いを寄せる努力をする」と強調した。さまざまな配慮もあって、仲井真弘多知事の代理で式典に出席した高良倉吉副知事も式典終了後に「沖縄の問題に向き合って発言された。理解できた」と述べている。沖縄からも「主権回復があったからこそ1972年に祖国復帰ができた」と客観的に評価する声もあがるようになっていた。

 にもかかわらず、今年は「高度に政治的判断」で式典を見送るというのでは、去年の開催は拙速だったと、仕掛け人の議連自ら認めるようなものではないか。4月28日の主権回復の日を「屈辱の日」だと受け止めている人たちの誤解を強めることにもなりかねない。せめて議連単独の集会を企画し、主権回復の日の意図を改めて説明すべきだろう。

 自民党が再び政権に返り咲くことができた理由の一つは、無責任に聞こえがよい政策を掲げ、実現できずに言い訳する政治に有権者が失望したからだ。当座の選挙に影響するからといってあっさり自説を棚上げするような老獪(ろうかい)な政治手法は聞こえがよい話を並べるのと同じように不誠実というものだ。(佐々木美恵/SANKEI EXPRESS

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