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愛しのラテンアメリカ(5)キューバ てらいのない人柄 最大の魅力

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愛しのラテンアメリカ(5)キューバ てらいのない人柄 最大の魅力

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首都ハバナの宿の1階で働いていた靴磨き歴54年のアンヘル。若い頃は柔道3段で、国の代表候補にも選ばれるほどだったが、腰を痛めて選手生活に別れを告げ、靴磨きになったという。「あの時は本当に悔しかったよ」当時の思いを噛み締めるように回想していた=キューバ(緑川真実さん撮影)  約1年半の旅行を終え、久しぶりに日本に戻ると、外国語で書かれた1通の手紙が届いていた。思い当たるふしがない。差出人の住所を見て、散らばっていた記憶がつながった。キューバ東部の都市、オルギンのアイスクリーム屋で、たまたま相席となった夫婦だ。

 私たちは意気投合し、店を出た後近くの公園に行き、私は旅行の話をして、彼らは日常生活からキューバ危機までさまざまな興味深い話題で盛り上がった。文通が趣味だと言う奥さんのラケルは、日本の住所と帰国時期を訪ね、一緒に写真を撮り、別れた。時間にして、わずか30分ほどだったろうか。オルギンを発つ前日に出会ったので、その後会うこともなかった。

 旅行中は各国で多くの人と出会った。たいていは、その後Facebookで彼らの近況をチェックする中、遠いキューバから海を渡って届いた彼女の手紙は、おしゃべりした広場の様子や、薄暗くなった夕暮れの公園を照らしていたオレンジ色の街灯、みんなで大笑いした光景などあの時以来「更新」されていない記憶をよみがえらせ、懐かしさを感じた。

 それになによりも一文字一文字手書きで書かれた手紙を読んだのは久しぶりだった。一期一会は旅行の醍醐味(だいごみ)だが、発信される情報が少なく、コミュニケーション手段も乏しいキューバ人との出会いは特別だったと、日本に戻り、あらためて実感する。

 約1カ月滞在した2回目のキューバ旅行。やはり、政治体制が特殊なことで、お国柄も生活事情も独特だ。滞在中に重ねて感じた、困難な状況をパワーの源に変えて楽しく過ごすしなやかな力強さと、素朴でてらいのないキューバ人の人柄は、最大の魅力だった。

 ≪「闘い続ける。それがキューバ人だ」≫

 街灯がなく暗い通りをキョロキョロしながら歩いていると、「チーナ(中国人)! 道に迷ったの?」と声をかけてくれる黒人女性や、疲れたので道ばたに座り込み、再び歩き出すと「気分悪いの?」と心配してくれる中年女性。大きな荷物を持って宿に歩いて行く途中、「そんな荷物を持ってうろちょろしていたら、ヒネテロ(外国人旅行者をだますたかり屋)が寄ってくるぞ」と宿に電話をかけ迎えを呼んでくれた男性。キューバには、街のあちこちに思いやりがあふれていた。

 東日本大震災の被害を心配する声を一番多くかけてくれたのも、キューバ人だった。

 「地震は大丈夫だったか?」

 「原発はどうだ?」

 日々触れる情報量が少なく、同じ島国という共通点ゆえかもしれないが、彼らの気遣いを嬉しく感じた。

 「bad time good face(苦しいときこそ笑顔で)」は、冒頭の夫婦がキューバ人を表現した言葉。外では楽しそうだけど、家に帰ると実際の生活は本当に「PROBLEMA(問題だらけ)」だと打ち明ける。彼らはアメリカに住む親族の仕送りでどうにか生活できるが、海外からの仕送りが止まったらこの国は飢餓で死んでしまう、なんて発言を聞くと問題の奥深さにはっとする。

 最後の滞在地、ハバナで出会った74歳のバリエンテは、昨今の規制緩和政策で洋服屋を始めた一人。彼は実に力強く、誇らしく言う。

 「僕らは子供の頃から闘うことを学んだ。だからもっと働いて、私は闘い続ける。それがキューバ人だ」と。(写真・文:フリーカメラマン 緑川真実/SANKEI EXPRESS

 ■みどりかわ・まなみ 1979年、東京都生まれ。フリーカメラマン。高校時代南米ボリビアに留学、ギリシャ国立アテネ大学マスメディア学部卒業。2004年のアテネ夏季五輪では共同通信社アテネ支局に勤務。07年、産経新聞社写真報道局入社。12年に退社後、1年半かけて世界ほぼ一周の旅。その様子を産経フォト(ヤーサスブログ)とFBページ「MANAMI NO PHOTO」でも発信中。好きな写真集は写真家、細江英公氏の鎌鼬(かまいたち)。

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