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愛しのラテンアメリカ(2) キューバ 窮屈な国でゆったりと過ごす

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愛しのラテンアメリカ(2) キューバ 窮屈な国でゆったりと過ごす

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町に繰り出せばいつもどこからかラテンのリズムが聞こえてくるサンティアゴ=デ=キューバ。楽しむことにかけては卓越しているキューバ人は、女性であれば必ず踊りに誘ってくれるので、1人参加でも大丈夫=キューバ(緑川真実さん撮影)  メキシコ人の友人ルイスは、海外を旅行する際、現地の移動手段としてレンタカーを借りる。旅先でその国の人々や文化をよりよく知るためで、地元の人を乗せては会話を交わし、ガイドブックには載っていないその国の一面をのぞくのだという。

 彼はキューバ旅行でレンタカーに乗せたキューバ人のうち、特に印象に残った女性について話してくれた。女性は、服役中の夫に面会に行く途中だった。夫が犯したのは、なんと家畜の馬を殺した罪。ルイスの説明によると、キューバでは、牛馬に限らず家畜はすべて国の財産とみなされるため無断で殺すと犯罪になるという。

 馬は急死したのだが、この女性の夫はそれを役所に届け出ずに、販売あるいは食用目的で冷蔵庫に保管した。それを隣人が密告、裁判では本当の死因を明らかにすることもなく馬を殺した罪で有罪になったという。突然刑務所暮らしを余儀なくされた夫と、離れて暮らす妻のことを思うと、いくら法律に違反したとはいえ、理不尽なことのように思えてしまう。この女性も政府への批判や不満を車内で漏らしていたそうだ。

 車内にはもちろん2人以外には誰もいないので、思う存分キューバ人妻の本音を聞けたと友人は満足気だった。屋外では周囲を警戒してか、政府を批判する人はあまりいない。政府の悪口を言う時には、こぞって声のトーンを下げるので、少なくとも好ましい話題ではないことは確かだ。

 この種の話を聞くと、頭の中のキューバ像が混乱してくる。ゆったりとした時間の流れの中、笑い声がこだまする和やかなお国柄と、数々の窮屈なルールに神経をとがらせて生活する国民。キューバには相反する2つのイメージがある。そして疑問が生まれる。限られた自由の中で、なぜ人々はあんなに朗らかに見えるのか。

 ≪「のんびりするしかない」 複雑な心境のぞく≫

 南東部の都市サンティアゴ・デ・キューバで知り合ったコックのエドアルドは、「悠々としているのは、他に選択肢がないから。お金を稼ぎたくても稼げない。何かを作りたくても材料がない。世界を見たくても旅行できない」と持論を展開する。

 しかし、私にとって「のんびりするしかない」などという言葉はうらやましいかぎりだ。でも実際、目の前にエンドレスに続く時間だけが用意されたら、何を考えるのだろうか。そこにあるのは、あきらめにも似たものなのだろうか。

 自由よりも安心を選択する人もいる。観光客向けにサルサのレッスンの講師をしている20代のダンサー青年は、数年前にダンスフェスティバルでメキシコに行ったとき、チームの数人はそのまま亡命したと話した。「あなたは?」と尋ねると「ぜいたくはできないけど、最低限の暮らしは保証されているキューバを選んだ」と明かした。

 サンティアゴ・デ・キューバは不夜城で、夜な夜な誰かが踊っている。ソン(キューバ発祥のラテン音楽)のリズムと甲高い声、それを支えるような太い声が響き渡る、蛍光灯2本で照らされた薄暗い空間。そこに人さえ集まれば、熱気は徐々に増し、ワクワクするようなパーティーが始まる。参加者は若者だけではない。ハリケーンで街灯が停電し、真っ暗な道を懐中電灯と杖を両手に訪れた初老男性は、小刻みにステップを踏み、かたっぱしから女性をダンスに誘う。若い女の子たちはセクシーなワンピースに身を包み、おめかししている。豪快な笑い声が、四方から聞こえてくる。

 キューバ人の心理は複雑だ。楽しいけど、それは選択肢が限られているゆえで、心から楽しんでいるわけではない。でも、ごまかしでもなんでも、彼らは笑顔で過ごしている。その表情に哀愁が隠れているのか、それとも本心なのかは、彼ら自身もわからないのかもしれない。(写真・文:フリーカメラマン 緑川真実(まなみ)/SANKEI EXPRESS

 ■みどりかわ・まなみ 1979年、東京都生まれ。フリーカメラマン。高校時代南米ボリビアに留学、ギリシャ国立アテネ大学マスメディア学部卒業。2004年のアテネ夏期五輪では共同通信社アテネ支局に勤務。07年、産経新聞社写真報道局入社。12年に退社後、1年半かけて世界ほぼ一周の旅。その様子を産経フォト(ヤーサスブログ)とFBページ「MANAMI NO PHOTO」でも発信中。好きな写真集は写真家、細江英公氏の鎌鼬(かまいたち)。

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