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冷戦象徴の滑走路 今は「自由」公園 ドイツ・ベルリン

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冷戦象徴の滑走路 今は「自由」公園 ドイツ・ベルリン

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 【Viva!ヨーロッパ】

 滑走路で寝そべったり、遊んだりしてみたい-。空港を訪れると思い描く願いはベルリンでかなう。冷戦の象徴だった空港が閉鎖後、公園として市民に開放されているのだ。無限のように広がる空間は今、「自由」の象徴のように余暇を過ごす市民の人気スポットになっている。

 気温が10~15度と温かくなった3月上旬の週末、ベルリン中心部のテンペルホフ駅は午前から自転車を持参した親子らでにぎわった。向かう先は通りを挟んだ旧テンペルホフ空港だ。

 平ら・真っすぐ・広い

 「テンペルホフの自由」が旧空港を利用した公園の名称。公園といっても森林やベンチ、噴水があるわけではなく、長さ約2キロ、幅約40メートルの滑走路2本を中心に芝生などが広がるだけ。だが、386ヘクタールの広さは米ニューヨークのセントラルパーク並みで、視界を遮るものはなくても敷地の反対端は見通せない。

 滑走路や外周ではジョギングや散歩、自転車乗りなどに市民は思い思い興じる。車や飛行機のラジコンで遊ぶ人もいる。芝生では本を読んだり、寝転んで陽光を浴びたり、ハイキングのように弁当やビールを楽しんだりする市民の光景が広がる。青空には数多くのたこが舞い上がっていた。

 家族と訪れた近所に住む店員のラルス・ヒルゲンフェルトさん(45)は「ここにはよく来るんだ。いつ来ても場所が十分にあるから。音楽をかけても誰の迷惑にならない」。ベルリン在住のコンサルタントの男性(46)は「遠くまで見渡せる広さで、心も広くなる」と爽やかな表情をみせた。

 「シャーッ」。その脇で風を切ったのはインラインスケートの若者だった。飛行機の離着陸のために整備された滑走路や外周はファンにはたまらない環境だ。友人とインラインスケートのために訪れたマーレンさん(32)は「平ら。真っすぐ。広い。スピードも出せる。こんな場所、他にはないわ」。

 おすすめランク3位

 1923年開港のテンペルホフ空港は東西冷戦の象徴的な舞台として知られる。第二次大戦後の48年、ドイツ東部を占領地域に収めた旧ソ連はベルリン西側地区への通路を遮断。「ベルリン封鎖」の間、米英軍は「陸の孤島」となった西側地区への食糧・物資の空輸を敢行した。その到着地がテンペルホフだった。

 空港は東西ドイツ統一後、市民が存続を目指して住民投票を実施したが、新空港の建設計画などに伴い2008年に閉鎖。だが10年5月から公園として開放され、施設の一角はコンサートやショーなどさまざまなイベントにも使われる。インターネット上では、ベルリンの春の外出先のおすすめランキングの第3位につけた。

 滑走路の縁石に高齢の女性2人が腰掛けていた。ともに旧西ベルリンで育ったという。「西ベルリンから出るときは旧東独側の監視を受け、ひどい時代だった」。そのうちの一人の70代という女性は分断時代をこう思い起こし、空港は自身にとって「世界への扉」だったと語る。

 目前では特段の設備もない空間で市民が憩う光景が広がる。「単に楽しむためにそれぞれが自由に使える。とても素晴らしい使い方だわ」。女性の言葉からは公園の名称に込められた意味が伝わってくるようだった。

 ただ、公園の行方は今、議論にもなっている。ベルリン市側が敷地の一部に約5000世帯分の住宅団地建設を計画し、住民から強い反対も上がっているためだ。今年1月には約19万人分の署名が集まり、5月にも住民投票が行われる見通しとなった。

 利用者からは「必要なら仕方ない」との声も上がる一方、先の70代の女性は「建設する面積は少しだというが、その後、どんどん増えるかもしれない」と不安をのぞかせた。(ベルリン 宮下日出男、写真も/SANKEI EXPRESS

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