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エッフェルがつなぐEUとの絆 モルドバ・ウンゲニ、ルーマニア・ヤシ
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フランス革命100周年の1889年に、パリのエッフェル塔を建造したギュスターブ・エッフェル(1832~1923年)は、鉄骨の構造をむき出しにしたデザインを好んだとされる。世界中の国々で駅舎や教会、ホテルなどの巨大建造物を設計し、近代建築の発展に大きな貢献をした彼の名がいま、欧州とロシアが勢力圏を争う境界の場所で、脚光を浴びている。
1991年、ソ連から独立を果たした国、モルドバ。ソ連時代から国境検問所が置かれた西部ウンゲニに、隣国ルーマニアとをつなぐ鉄道橋がある。両国の境界線となっているドナウ川の支流、プルート川に架かる長さ数百メートルの橋梁(きょうりょう)。むき出しの鉄骨を格子状に組み合わせた白色のこの建造物こそが、エッフェルがパリのシンボルとなった赤色塔より12年前に建造した「エッフェル橋」だった。
人口4万人の小都市ながら、ワインや農作物が名産のウンゲニは橋を新たな名所としてPRし、観光客を呼び込もうとしている。昨年夏、フランスとルーマニアの駐在大使を招き、橋のたもとで、建造135周年を記念する行事を開催したウンゲニのアレクサンドル・アンブロス市長(47)がこう言った。
「EU(欧州連合)諸国で私たちは、橋のプレゼンテーションを行い、モルドバに、エッフェル橋があることが広く知れ渡るようになった。この橋は、わが国とEUを結ぶ懸け橋になるはずだ」
市長が、エッフェル橋に期待をかけるには訳がある。モルドバはいま、疲弊した経済を立て直すために、長らくこの国を支配したロシア(ソ連)の地域圏から脱して、欧州統合への道を進んでいる。現政権は今月(11月)末、バルト諸国リトアニアの首都ビリニュスで開かれる「東方パートナーシップ首脳会合」で、将来のEU加盟を目指し、その前段となる連合協定(AA)の仮署名を行おうとしているのだ。
ロシアは黙って見ているわけではない。プーチン政権はモルドバの名産品で、ロシアで全売り上げの約3割を販売するワインを輸入禁止にして、モルドバに圧力をかける。国内でも、ロシア語を話す旧共産勢力が「EUに入れば先進国との商品競争に負け、経済が疲弊する」と反対運動を続ける。
しかし、モルドバのユリエ・リャンケ首相(50)が「欧州への統合は、わが国に恩恵をもたらす」と強調するように、過半数の国民が支持するEUへのアプローチは揺るぎない姿勢となっている。
「モルドバの歴史的大転換」(専門家)の決断には、先にEUの一員となったルーマニアが大きな役割を果たしている。「兄弟国家」(専門家)のルーマニアが、モルドバをEUへとつなぐ橋渡し役を務めているのである。
両国共通の青、黄、赤の3色旗が示すように、モルドバとルーマニアはもともと同一国家だった過去があり、言葉も同一言語。モルドバでは二重国籍が認められ、多くの国民がルーマニアの旅券も有している。人々は簡単にプルート川を越え、欧州の風情を漂わせる、きらびやかなショッピングセンターで買い物や食事を楽しむ。
ウンゲニからわずか西方15キロの場所にあるルーマニア第2の都市ヤシ。中世時代、両国が同一国家だったときから中心都市として独自の文化を育み、街中には宮殿や大聖堂などの歴史的建造物が立ち並ぶ。19世紀にルーマニア公となったアレクサンドル・ヨアン・クザ(1820~73年)の銅像が建つ「統一広場」の一角に、重厚な雰囲気を醸し出す石造りの建造物があった。
トライアン・グランド・ホテル。1882年、ギュスターブ・エッフェルが設計した四つ星ホテルだ。希代のフランス人建築家は、ルーマニアとモルドバ双方の町に、確固たる足跡を残していたのである。
鉄道に乗ってエッフェル橋を越え、エッフェルが作った豪華ホテルで旅の疲れを癒やす。近い将来、EU諸国を回る旅人の観光コースの一つになるのかもしれない。(佐々木正明、写真も/SANKEI EXPRESS)