日露首脳・長門会談 保たれた絆 安倍・プーチン両氏、一時は破綻寸前

 
大統領特別機で山口宇部空港に降り立ち、岸田文雄外相(右)の出迎えを受けるロシアのプーチン大統領=15日午後、山口県宇部市(代表撮影)

 日本海に面し、幾つもの入り江と島々が連なる山口県長門市。平安中期、前九年の役で敗れた東北の武将、安倍貞任の一族がこの地に逃げ落ちた。首相、安倍晋三は、その末裔(まつえい)だと伝えられる。

 日露戦争の日本海海戦ではロシア兵の遺体が流れ着き、地元の人々は丁重に弔った。露大統領、ウラジーミル・プーチンとの会談の場にこの地を選んだのは、そんな自らのルーツを知ってほしいという思いがあったからだろう。

 「山間にある温泉の夜の静寂(しじま)の中でじっくりと交渉したい」。長門市にたつ直前、安倍は羽田空港で記者団にこう語った。

 安倍とプーチンの会談は第1次安倍政権を含めて今回で16回目となる。度重なる会談を通じて2人の信頼関係はジワジワと醸成されてきたが、国際情勢のあおりを受け、険悪な状態に陥ったこともあった。

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 「安倍には裏切られた。全く信用できない男だ」

 平成26(2014)年8月、露チェリャビンスクで開かれた世界柔道選手権の最中、プーチンは、柔道家で五輪金メダリストの山下泰裕に対し、ロシアのクリミア併合を受け、欧米が行った対露経済制裁に日本が同調したことへの怒りをぶちまけた。

 これに先立つ同年2月、安倍は露ソチで冬季五輪開会式に出席した。欧米首脳がロシアの人権問題などを理由に相次いで出席を見送る中での訪露だっただけにプーチンは心から喜び、自らの別荘でもてなした。そのわずか1カ月後の経済制裁は、プーチンの目に「裏切り」に映った。

 日本が行った制裁は、ロシアに実害を与えぬ内容だった。安倍は制裁発動を逡巡(しゅんじゅん)したが、外務省幹部に「これは真空斬りですから」と説得され、渋々応じたのが実情だった。

 プーチンの怒りを知った山下は、自らとプーチンの仲を取り持った元首相の森喜朗に連絡した。「これはまずい」と考えた森は1カ月後に訪露し、プーチンと向き合った。

 「シンゾーへの怒りは誤解にすぎない。経済制裁はすべて実害がないものばかりだ。信じられないなら調べてごらんなさい」

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 森は25年2月に訪露した際、プーチンに1枚の写真を見せたことがある。安倍の父で元外相の安倍晋太郎と旧ソ連大統領、ミハイル・ゴルバチョフとの最後の会談の写真だった。

 「この痩せ細っているのがシンゾーの父親で、後ろで支えているのが若き日のシンゾーだ。シンゾーの父親は直後に亡くなった。『日露関係をよくしたい』というシンゾーの思いは本物だ」。森の話を聞いたプーチンはじっと写真に見入っていた。

 森は写真の話を再び持ち出し、「シンゾーは少しも変わっていない」と説いた。直後の9月21日、プーチンは安倍に誕生日祝いの電話をかけた。安倍も10月7日のプーチンの誕生日に電話で祝意を伝え、なんとか両者の絆は保たれた。

 それでもプーチンの非礼は相変わらず。「遅刻常習犯」らしく訪日は予定より2時間以上遅れた。先に長門入りした安倍は余った時間を利用して晋太郎の墓参りをした。会談を前に一体何を報告したのか-。

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 ■交渉阻むオバマ大統領 断絶15年…「細い割り箸の上」

 15日午後4時50分、露大統領、ウラジーミル・プーチンを乗せた露大統領特別機が山口宇部空港に到着した。第2次安倍政権発足後、何度も浮上しては消えたプーチン来日はようやく実現した。その最大の壁は米国だった。

 「決めるのは日本だが、ロシアとの交渉は正しい選択だとは思えない」

 米大統領、バラク・オバマは、首相、安倍晋三と会談する度に懸念と不信をあらわにした。安倍は常に「これは日露間の問題だ。どうしてもやらなければならない」と反論したが、米側は日本側にさまざまな形で圧力をかけ続けた。5月にオバマが米大統領として初めて被爆地・広島の平和記念公園を訪れ、両首脳は日米同盟の絆を改めて確認したが、その後も米政府側は「日米間の懸念材料はロシアだ」と繰り返した。

 オバマとプーチンの仲は険悪と言ってよい。オバマは国際会議で「ウクライナに武器を貸与しようと思う」と述べ、各国首脳をあきれさせたこともある。同盟国・日本が対露包囲網から外れることは何としても阻止したいのだろう。

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 だが、2014年のウクライナ危機に端を発する欧米とロシアの対立は逆に日露の関係を深めた。

 まもなく首相在任5年となる安倍は積極的な首脳外交も奏功し、国際社会でそれなりの存在感がある。プーチンにとって、安倍と信頼関係を築くことは「ロシアは孤立していない」と世界に発信することになる。

 日本にとっても、軍事的拡大を続ける中国を牽制(けんせい)する上で、ロシアとの関係強化は欠かせない。安倍-プーチンの信頼関係はそんな打算の上に成立している面は否定できない。

 ところが、11月の米大統領選でドナルド・トランプが勝利したことは大きな不確定要素となった。トランプはオバマ政権の外交・内政ともに真っ向から否定しており、ロシアとの関係改善に動く可能性がある。ロシアと太いパイプを持つ米石油大手、エクソンモービル会長兼最高経営責任者(CEO)のレックス・ティラーソンの起用を決めたことも「関係改善に向けたサインだ」とも言われる。

 そうなると、ロシアにとって日露関係強化の意味合いは薄れる。プーチンが「領土問題は存在しない」と断じるようになったのも無関係ではあるまい。

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 「安倍、プーチンの関係は、森喜朗が首相だった頃とは大きく異なる。細い割り箸の上で首脳が会談しているようなものだ」

 日露関係に詳しい外交筋はこう断じた。安倍、プーチンの信頼関係だけが頼みの綱となっており、外務省など事務レベルの積み上げがないという意味だ。

 そもそも日本の対露交渉は、日ソ共同宣言に署名した昭和31(1956)年以降、日本の内政事情に左右されてきた。

 平成13(2001)年3月、森とプーチンはイルクーツク声明を出し、日露交渉はようやく動き出したかに見えたが、翌月に森は首相退陣に追い込まれた。代わって首相となった小泉純一郎が、外相に起用した田中真紀子は「北方四島一括即時返還以外は認められない」と言い出し、それまでの10年以上も積み上げた交渉は水泡に帰した。

 その後、民主党政権の混乱などもあり、ロシアはすっかり態度を硬化させた。プーチンの「平和条約締結交渉は日本のせいで中断した」という指摘は残念ながら一理ある。

 第2次安倍政権となり、ようやく日露交渉は動き出したが、イルクーツク声明から15年。かつて築き上げた政界や官界のパイプはすっかり細ってしまった。

 プーチンは平成25(2013)年2月、森との会談で北方領土に関して「引き分け」という言葉を使い、「勝ち負けなしの解決だ。つまり双方受け入れ可能な解決だ」と解説した。さらに紙の上で柔道場のような四角を書き、端を指しながら「ここではプレーできない。真ん中の方でプレーを再開したい」と述べた。

 だが、領土問題に関する最近のプーチンの言動は「引き分け」から大きく後退しているように見える。

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 山口県長門市の温泉旅館「大谷山荘」での首脳会談は15日午後6時すぎに始まった。

 安倍「私の故郷へようこそ。ここの温泉は疲れがとれます。これから行う首脳会談の疲れが完全にとれることをお約束します」

 プーチン「温泉に入るのが楽しみだ。だが、一番よいのは疲れないことだ」

 冗談なのか。それとも牽制球なのか。静寂に包まれた長門の夜は日露関係の転機となるのだろうか。=敬称略(田北真樹子)