菅直人元首相は29日、東京都内で行われた自身が実名で登場する映画「太陽の蓋」の上映会に登場し、トークショーを行った。映画は東京電力福島第1原発事故発生から最初の5日間を描いたもので、菅氏は「あの事故があと紙一重広がっていたなら、私も皆さんもこの場所にいることができなかった」などと当時の様子を振り返りながら、反原発の持論を展開した。菅氏の発言は以下の通り。
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自分の中で一番ある意味重かったのは、3月15日の午前3時ごろ、東電の清水正孝社長から海江田万里経済産業大臣に対して、「もう現地がもたないから、避難させたい」という話がきたとき。この話を経産大臣が私のところにもってきて、「どうしましょう」という話があった。
私、実は事故が起きる前に、ソ連のチェルノブイリの関係の本を少し読んでいたので、昨年もちょっと行ってきたのですが、あの事故では最初に火が出て、消防士が駆け付けて、二十数人がまず急性被曝(ひばく)で亡くなった。最近読んだ「チェルノブイリの祈り」という、ノーベル文学賞をとられた女性作家の聞き取りを改めて読んでみたのだが、やはり相当な人が、兵隊さんとかいろんな人が現場に駆けつけて、その後亡くなっている。
そんなことがある程度、私、頭の中にあったものだから、ぎりぎりになったときに、「もう逃げても仕方ない」と言うのか、「いや逃げないで頑張ってくれ」と言うのか。もしかしたら、そのことを判断するのは、「時の総理である自分になるのかもしれないな」と、かなり早い段階から思っていた。