昨年11月21日付のこのコラムで紹介した「西陣絣(がすり)」。京都・西陣ならではの素材である極細の絹を用いた繊細なグラデーション模様が特徴の織物が今、次代の作り手によって、“新たな命”が吹き込まれようとしている。「RE-DESIGN ニッポン」第19回は、再び「西陣絣」の作り手たちにスポットを当ててみたい。
わずか7人の組合員
前回も紹介したとおり、西陣絣は和服のお召(略礼装)として、高級品扱いされてきた。昭和30年代の最盛期には、絣加工業者は約120軒を数えたが、現在、生産者が加盟する「西陣絣加工業組合」の組合員はわずか7人。しかも大半は70代と高齢化が進み、10年もすれば、残り1人になってしまう状況である。
作り手の減少は、全盛期2兆円を超えた着物の市場規模が、今では10分の1以下になってしまったことが大きく影響している。だが、それだけではない。根本的には、着物業界が、日本人のライフスタイルの変化に対応できなかったことも、要因として挙げられるだろう。